Vernon Lee (Violet Paget)

翻訳

ここでは、管理人が翻訳したヴァーノン・リーの作品を紹介しています。(翻訳は素人なので下手です)

  • 「顔のない女神」(A Featureless Wisdom)
    • 顔のない女神

       マンティネイアの賢女ディオティマが、顔がないことで名高い女神アテナの像を所有するに至った次第は次のとおりだ。
       ディティマは司祭でもあったのだが、女の司祭とはいかなるものであるか、よく知るものはいなかった。けれども、そうした立場のおかげでたくさん著名人と知り合う機会に恵まれた。その中にはソクラテス、アルキビアデス、ゼノン、プロタゴラス、ゴルギアス、そして大物にはなり損ねたものの、才能には恵まれた多くの若者たちがいた。彼らとの対話をとおしてマンティネイアの女司祭の心から無用な偏見が消えていった。そして、自分が崇拝し、礼拝する知恵の女神の像は、もっぱら自分専用の知恵の女神でなければならない、と感じたのであった。
       そういうわけで、ある日ディオティマはフィディアスの工房に足を運んだ。フィディアスは、あらゆる神の、あらゆるサイズの彫像の注文も請け負うことで知られていた。そこでディオティマはアテナ像の制作を依頼したのである。その大きさは、自分の帽子入れの箱に合うように、なおかつ伝統的で今なお大衆の崇拝の的であるアテナ像とは簡単に区別がつくような特徴をもった像でなければならない、と。フィディアスは友人のソクラテスからディオティマのことを聞いていて、賢人ソクラテスは自分の意見をマンティネイアの女司祭の意見だと称しているのではないかと疑ってさえいた。婦人と哲学者の間には起こりうる事だからだ。フィディアスは大喜びでその依頼を引き受けた。八日後にディオティマは再び工房にやってきた。彼女が目にしたアテナ像は、椰子の木からきわめて見事に掘り出され、見事に象られた四肢と優美な衣の中に、ぺリクリス派の彫刻の美点を全部詰め合わせたものだった。ディオティマはその像を手に取り、感心してそれを眺め回してみた。
       「気に入らない点がひとつだけあります」少ししてディオティマは言った。「考古学者なら『地獄の女神の典型』と呼ぶだろう(というのも、ご存知の通り、私には予知能力があるのです)ものを若干含んではいませんか、この像の頭は」
       「おそらく少しばかり」フィディアスは答えた。「今度の水曜日までに直しておきます」その水曜日、ディオティマは馬車を呼び、再び工房を訪れた。
       「私のことをうんざりするような人間だと考えてはいけませんよ、先生」少し間をおいてディオティマは言った。「ですが、この新しい頭は少しばかりアフロディーテの頭に似すぎちゃいません?ああ、アフロディーテにはなんら偏見などもっておりませんけれど-ただ-ご存知のように、魚市場だとか、なにかその手の恐ろしい場所や、そうした所に、アフロディーテの像って置いてあるじゃないですか。もう一度作り直していただけませんかしら」
       「わかりました」フィディアスは答えた。「今度の月曜日でどうでしょう」
       しかし、その月曜日になって、マンティネイアの女司祭が工房にやってくると、新たな驚くべき事態がディオティマを待ちっていた。「誓って言いますが」フィディアスは言った。「これは、奥様、私のミスではありません」。というのも、彼の弟子(カラミスのことだと思われる。もちろん、カラミスがフィディアスの師匠でなかったとしたらの話だが!)アテナ像に、端正な、表情に富んだ小さなシレナスの頭をくっつけたのだ。
       「あなたのところの職人に言ってやっていただけないかしら」ディオティマは馬鹿丁寧に言った。「酔っ払っているときは、私の小さな知恵の女神に頭を取り付ける作業はおよしなさいって」
       「奥様」フィディアスは反論した。「あなたの目の前にいるのは、つつましく神に仕える者の中で最もつつましいものですぞ。カラミスは10日もの間パンと水だけで仕事にあたったのです。ですが、私が自分であなたの私的な信仰を司る名誉を預かるに足る像の新しい頭を作るようにします。今度は私の方であなたの所にうかがいます。」
       二週間後、ディオティマの執事が、いくらか不快げに、パルテノン神殿を作った名誉ある、しかしいささかだらしのない彫刻家を招じ入れた。「期待に答えておくれ、フィディアスよ」マンティネイアの女司祭は叫び、アテナ像を包んだ薄紙を解いた。だが、紙をほどくと、恐ろしいほどの沈黙が訪れた。仔細に観察するために、像をもった手をいっぱいに伸ばして見てみると、なるほどその像はよく似合う兜をかぶっていた。そして、その兜にはガチョウの羽根のまわりに優美に体を丸めた三匹のキマエラの像がついていた。見事に象られた顎と、繊細で薄い耳さえあった。しかしながら、顔が全然なかった。目もない、鼻もない、口もない、何もないのだ!
       沈黙は長く続いた。そして、古代の彫刻家の魂ほど静謐な魂を持たぬものには、その沈黙はひどく痛々しいものであったことだろう。                                                               
       「もうしわけありませんが」ディオティマは言った。「3時半に約束があるんです。籠が来ているか手をたたいて確かめてみていただけませんこと」
       フィディアスは立ち上がった。
       「奥様」とても穏やかに彼は語った。「最高の女神アテナと、魅力的なあなたご自身に対して私が不敬な悪ふざけをするつもりだとお感じのようですが、そうではありません。あなたのご要望は不可能なことなのです。あなたの賢明なご友人たちが形而上的な奇跡と呼ぶものであると私は思います。認めざるを得ませんが、大抵の奥様方なら見抜けないであろう間に合わせのものであなたの期待にこたえようと努力してまいりました。ですから、あなたの発想力豊かなお心(そして、あなたの知り合いの雄弁家たちの良く動く舌)なら嬉々として語るであろうことは間違いない、すばらしい秘密をあなたにお伝える以外にすることは何もすることは残ってはいないのです。すなわちこうです。至高にして不可解な定めのせいで、知恵の女神の顔は常に公の場所や城砦内の神殿の中に、港の灯台のそばに、十字路の祭壇の上に、据えられた(私が据えつけるのをお手伝いしたと言っても良いです)大きな像に見られるものと同じものにならざるを得ないのです。それゆえ、これと本質的に違う像はどれでもいくらか劣った神、評判が悪く、あまり好かれてもおらず、不吉な前兆となる神の像にならざるをえないのです。さもなくば、この像のように、哀れな小さい目もない、口もない人形に、洗練された趣味の持ち主にうってつけの遊び道具にならざるをえないのです。」
       しかし、ディオティマは手に像を持ったまま動かなかった。
       「今度ソクラテスを夕食に呼んだときには面白い話の種になるでしょう」ディオティマは物思いにふけりながら言った。   

  • 「貴婦人と死神」(The Lady and Death)
    • 貴婦人と死神 ヴァーノン・リー 


       「わが先祖アグネスの肖像に強い印象をお受けになったようですので」コンラット・ヴェーヴァー医師は言った。「それに、私たちの住む小さな町が今でも暖かく、『過去』が息づいていると感じておいでのようですので、わが一族に伝わるすこぶる興味深い伝説をお話しようと思います。アグネス・ヴェーヴァーのお話を。私たちは肖像画にあるラテン語の連句にならってアグネス・アルケスティスと呼んでおりますが、彼女がその主人公です。ですが、話を始める前に、このお話に登場するもう一人の重要人物の像をお見せしておいた方が良いでしょう」
       医師は私を連れて、いまだ健在の木張りの土手道を通って、塔や門楼が点在するあたりを一巡りしたが、そうした塔や門楼のおかげで、狭い谷の上にあるこの小さな町エアラッハは、デューラーの絵の背景にある大きな町、例えばイェルサレム、のような様相を呈していた。私たちは広い大通り、ヘレンガッセ通りに出た。そこは甘いにおいのするライムの木が植わっていて、大きな切妻屋根のある家々が点在し、その窓格子の向こうからは手入れの行き届いた花々が顔をのぞかせていた。その通りの先は、建物や町の城壁に遮られることなく、向こう側の土地の光景、急峻な緑の牧草地と遠くに密集したモミの木の光景、の中に吸い込まれている。青緑色のタペストリーのようなこうした景色を背景にして、銅像を周囲に配した噴水があった。その噴水は南ドイツとスイスによく見られる模様が施されていて、荒削りのもみの木で作られたその村独特の水飲み桶のことを心地よくも思い起こさせた。その噴水の八角形の池はまるでバスタブみたいで、中央に柱が立っているのだが、鉄でできた噴水口から四本の細い水流が流れ出ていた。柱のてっぺんには銅像があった。甲冑を着た騎士の像で槍に寄りかかっている。
       「この噴水は」医師は言った。「碑文にある通り、一五四五年にベルヒトルト・ヴェーヴァーによって再建されました。アルケスティスという名字のアグネスの夫のことです。ですが、ご覧のとおり、像はそれよりずいぶん以前からあり、あの興味の尽きない、もっと知られてしかるべきフランコニア派の石工たちによって作られたものです。彼らは我々の教会に騎士の像をたくさん残してくれました。あれは聖ゲオルギウスの像ではなく(龍がいないのにお気づきでしょう)、聖テオデュラスの像です。この聖戦士のことなどおそらく聞いたこともないでしょうが」
       「お分かりになりますかどうか」私は答えた。「いつも驚かされるあの偶然の一致というやつのおかげで聖テオデュラスのことを偶々耳にしたのです。一ヶ月も前のことではありません。おかげさまで今思い出しましたが、その聖人にまつわる伝説にたいへん興味があるのです」
       「伝説ですって?もちろん、お話しようと思っていたのはそのことです」医師は答えた。「最初に、どのくらい聖テオデュラスのことをご存知か教えていただけませんか?」
       「それがアグネス・アルケスティスと関係あるのですか」私は尋ねた。その女の話を聞き逃したくなかったのだ。
       「大いに関係があるのです。聖テオデュラスのここエアラッハにおける業績にまつわる伝説はお話できるのですが、聖テオデュラスの他の地での業績についてお話していただけませんか。というのも、このルター派の町では聖人伝が不足しているのです」
       「そうですね」私は答えた。「お話できるのはこれくらいです。数週間前、イザール川の源流から程近いチロル渓谷の一つを散策していると、人里離れた所にある別荘の近くに、雪解けの水が道に溢れだしているような小川があったのですが、その中に小さな水車を見つけたのです。その地方の子どもたちがつくる類のものです。それは空の缶詰を叩くハンマーのかわりに、二体の小さな木製の人形でできたおもちゃで、川の水が溢れだすようなときにだけ、水が水車の向きを変えるのに合わせて、ひっきりなしにぶつかり合うんです。そのおもちゃはいたく私の心を引きました。よくよく調べてみると、二体の人形のうち一体は角笛を持っていました。もう一体はてっぺんまで彫刻を施された一種の兜をかぶっていて、木で出来た十字架を振りかざしていました。一人の女の子が別荘から出てきて、そのおもちゃのことで考え込んでいる私を見つけ、それをつくったのは自分の兄で、悪魔と戦っている聖テオデュラスの像だと教えてくれました。そのことについて知りえたことはこれだけです。ですが、小川の中のその二体の木製の人形のことがしばしば頭に浮かんできて、いつの頃から、天気のいい日も、吹雪の日も、休むことなくぶつかり合いを続けているのだろう、と考えてしまうのです」
       喋りながら私は噴水を見ていた。そして、しばしの間、暗緑色のアルプスの谷、その白い氷河の流れとクロウズビル(crowsbill)で青く彩られた牧草地の光景が脳裏に浮かび上がり、中世風の街路のかわりにその光景が聖人像の背景に浮かび上がった。天気のせいでその像は錆びた鉄のように見えた。腰には本物の鉄製の刀を揺らし、鉄製の槍旗が、槍についた風見鶏みたいにきーきーと音をたてていた。その像を見て、マクシミリアンの墓のあたりにあるインズブルックの金属性の騎士を思い出したが、野卑さを抑えられ、より洗練されていた。甲冑は紐と金具のあらゆる細部にいたるまで再現されていた。しかし、鳥の巣か、でなければ雨雲のように見える針金みたいな髪でできた頭がのっかった髭のない顔には、古風な厳格さがあった。だが、いかに人形然としていようとも、その顔は奇妙にもある程度の表情を備えていた。―緊張して、疲れきった、哀れな決意の表情を。
       「あなたのお話には大変興味をそそられます」と私の視線を追って噴水へと視線を走らせながら医師は答えた。「昼も夜も永遠にぶつかり合い続ける聖人と悪魔にまつわるあなたのお話にかなりショックを受けています。それはあらゆる神話に特徴的なことです。聖人であれ神であれ、何であれ、いかに気づいてもらえなくとも、彼らは人々の想像の中でその固有の行為をやめるということは決してないのです。聖テオデュラスにおいてもそうでしょう。そして、疑問が沸いてきます。あなたがカトリックのチロルの谷で出くわしたその伝説は、このルター派の町エアラッハで本当に起こったことだが、カトリックの要求に適うように改変されたと言われている物語の成果なのか、という疑問が。さもなくば、エアラッハの物語は、実際の日付や人物と結びついてはいるが、プロテスタンティズムが消し去ることの出来ない古いカトリックの伝説の脚色にすぎないのか、という疑問が」私は抗議せねばならないと感じた。「誓ってもいいですが」私は言った。「あなたはあまりにドイツ人的でありすぎるようです、ヴェーヴァー先生。あなたの御先祖の物語を聞くためにここで待っているのです。その話のかわりに、その神話的な面についての科学的な考察を始めるつもりですか!」
       医師は微笑んだ。「たぶん正しいのはあなたのほうでしょう」と彼は答えた。「その話を実話さながらにお話しするよう最善を尽くしましょう。そうするほどに自分自身実話であると信じることができるのです。えーと、まず始めに…最初に柱の基部と噴水の厚板に施されている彫刻に注目してください。このことと関係しているのです」
       私はすでにそれに気づいていた。噴水の他の部分と同様に、その彫刻は十六世紀イタリアの模倣であった。キューピッドの彫刻だが、しゃれこうべと十字に交差した骨のついたトロフィーをもっていた。
       「その話が終わったら」私は言った。「科学を愛する本能を存分に発揮して、ルネサンス期のあらゆるドイツ芸術において、つまりデューラーからホルバイン、群小の芸術家に至るまですべてにおいて、常に死がその隅を徘徊している理由を教えてください」
       「ああ、気づいておいでなのですね」ヴェーヴァー医師は答えた。「ドアの陰でほくそ笑み、木の上から見下ろし、行商人の袋に手をつっこみ、貴婦人とその恋人に砂時計を振りかざす骸骨の姿に。あらゆる所に死がいます。これからその一部をお話しするバラッドの中では死神(Herr Tod)と呼ばれていますが。私の話はまさにそのことと関係しているのです。ところで、デューラーの版画『騎士と死』を思い浮かべることが出来ますか」


       「わが先祖ベルヒトルトは」ヴェーヴァー医師は語り始めた。医師の先祖代々の家の裏手の小さな傾斜地にある庭で私たちは早めの夕食を終え、腰を下ろしていた。「一族の中でももっともすぐれた医師でした。ご存知のとおり、四〇〇年にもわたって父から息子へと医業を継いできましたが。私は思うのですが、同時代を生きた者の言葉や、その著作、手稿から判断するに、その時代の最も優れた哲学者であり、十七世紀の化学と解剖学の先駆者と言えるかもしれません。彼はコンラット・ヴェーヴァーとバーバラ・ペルラッヘリンとの間に一四八〇年に生まれました。一五二五年頃、数年間にわたるイタリアや東方への研究旅行を終え、生まれ故郷のエアラッハに帰郷しました。禁断の知識の所有者という極めて悪い評判を既にもっての帰郷でした。エアラッハは、最盛期においても、ニュルンベルグやバーゼルのような交易と製造業で賑わった町だと考えてはなりません。北ドイツからスイス、フランクフルトからイタリアへと通ずる交通の要地としての政治的重要性があったのです。当時は、今と同じで、農業の中心地で、我々の先祖たちは、自由市民であったにせよ騎士であったにせよ、隣接する肥沃な地域の農民にすぎなかったのですが、その堅固な丘にまぐさや穀物を貯蔵することができたおかげで、諍いを続ける権力者たちに食料を供給したり、飢えさせたりすることが出来たのです。そんなような事情だったので、エアラッハの人々は科学や哲学に慣れていませんでした。ルター派の活動に従ったという事実は彼らに狭量な信仰心を植え付けただけでした。ベルヒトルト・ヴェーヴァーは、カトリック教徒、最悪のイタリア人風のだらしないタイプのカトリック教徒でしたが、エラスムスと親交があり、神を信じない世俗的欲望の強い聖職者たちにへつらう哲学者で、病気というものは天によってもたらされるものではない、と公言する人間でした。そのため、ベルヒトルト医師のことですが、彼は好意をもっては見られませんでした。そして、彼が自宅に設えた奇妙な実験室、飼っていた奇怪な動物、収集していた骨や骸骨(ラヴンストーンの町の絞首台のところで買い求めたという噂さえありました)に関する噂は、彼の評判を高めるということはありませんでした。そのため、あからさまにひどく扱われたわけではないのですが、人々は彼を避け、著名なシュトゥンプフィウス医師はヴォルフガング教会で行った説教の中で、高名な同胞ハインリッヒ・ストス評議員を、娘のアグネスを有名なエピキュロスの信奉者と彼が呼ぶ男と結婚させた廉で、わざわざ非難したのです。このアグネス―「ストス家のかわいい女の子、アグネス」―こそあなたが肖像画で見たアグネスです。アルケスティスになぞらえるラテン語の連句のついた肖像画を。初老の、さほど有名でもないベルヒトルト医師を夫に選んだのは、一人っ子のわがままからなされた決定で、娘を溺愛する父親がしぶしぶ認めたのではないかと私は疑っております。しかし、そのように牧師がほのめかしているにもかかわらず、エアラッハの市民には我が教養ある先祖のようなもの静かで害のない人間を、あるいは最高の身分の王子たちが頻繁に訪れたり、使いをやったりする人間を落ちぶれさせたり、追放したりすることはできませんでした。そのうえ、一五二五年に疫病がフランコニア地方を襲い、近隣の町という町、村という村の人たちの命を奪っていたとき、エアラッハの町は驚くべきことにその災禍をほとんど受けることがなく、病にかかった人の多くが助かったのですが、それは少なくとも表向きには、確かにベルヒトルト・ヴェーヴァーが市民に警告したおかげで、彼が用いた新しい治療法のおかげだったのです。ですが、もちろんこのことへの感謝の念から医師を迫害することができなくなったにもかかわらず、その感謝の意識はもともとあった悪い評判を高めただけでした。というのも、泉や洗濯たらいの周りに女たちが集まればどこでもうわさされ始めたのです。また、神学者と熱心な市民が頻繁に訪れるワイン倉では例外なく、もっとあからさまにほのめかされ始めたのです。仮にベルヒトルト・ヴェーヴァーが疫病の波を抑え、同国人の命を救うことに成功したとしても、それはヴェーヴァーの無法の知識のせいではなくて、彼自身が「恐怖の王子」との間で結んだ契約のせいだ、と。同胞の命と引き換えに、自分の命を差しだすと約束したのだが、それは罪深い好奇心と世俗的な虚栄心からの行為だとうわさされたのです。それは私たちの先祖たちがいつも撒き散らしてきた恥ずべきデマにすぎなかったのでしょうか。私はそうした意見にまったく賛成です。ですが、そのうわさは的外れだったのでしょうか。我が友よ、自分でもそれほど確信がもてないと白状いたします。同じ時代を生きる人間という者は、人がなさなかったことで人をしばしば責めるものです。けれども、その人には不可能だと思うことについて非難するということはそうはないものなのです。ドイツで焼き殺された千人もの魔女の中に(我が町エアラッハがかなりの割合を占めました。裁判記録が残っています)―私が思うに、魔法を信じない者は十人もいなかったでしょう。そして、かなりの数の人間がブロッケン山のサバトに行ったことがあるか、あると思っていたのです。これをベルヒトルト・ヴェーヴァーの場合に当てはめて見てください。ナンセンスだ!とあなたは言うでしょう。学識ある医者で、レーウェンフック(一六三二~一七二三、オランダの博物学者)とハラーに先んじた科学者がいたなどという考えは」
       しかし、パラケルススとカルダンの時代には、人はそんなものだったのです。しかも、今では小学生でも笑うようなことを信じていたんです。なぜなら、科学とは、発見されたり推測されたりしたいくつかの事実を、伝統や想像力によってあらかじめ作られた既定の体系に符合させることだけを意味していたのですから。そして、この体系は絶えず変化するのです。今日、我々の時代の科学は法則とか力とかいった理解不能なもので溢れかえっています。ベルヒトルト・ヴェーヴァーの時代の科学には、それとは別の装置があって、それはより絵画的で、おそらくは、結局のところ、同じくらい理にかなっていたのです。ほとんど人間と同じ形をした霊的存在、力天使、ファウストによって召喚され、『メランコリア』の中でデューラーが描いた精霊に似た精霊、ヴォールゲムートとクラナハの絵で描かれたような鬼などがそれです。私たちの時代の独創的で学識高いヴァイスマン博士が、「法則」としてではなく、実在として遺伝や進化、その他もろもろのものについて思索するように育てられ、天高くに住む坐天使と地上の事物をえり分けていると仮定してみましょう。ヴァイスマン博士がこのような考え方をするとして、例えばミューズやシヴィルに扮し、眷族を従え、リボンをはためかせたレディ・パンミクシアに会い、その名誉ある親である自然淘汰の精霊との関係にまつわる真の歴史について直接尋ねるのに必要な手を打つにしても、彼は本物の科学者のように振舞うのではないでしょうか。笑いましたね。こういってよければ、あなたはただの作家で、誤りを犯しようのない、変化することのないものとして科学を完全に信仰しているがゆえに笑うのです。私たち科学の徒はもっと謙虚で、それゆえ、先人たちをもっと正当に評価でき、彼らとまったく同じように考えるべきだということを知っているのです。ヴァイスマン博士がもし十六世紀に生きていたとしたら、我が先祖ベルヒトルトのように行動したことでしょう。我が先祖ベルヒトルトは死の秘密を知ることを熱望し、死神のアジトに出向き、死神自身から病気と崩壊(dissolution)のあり方と理由について学びに行ったのですが、彼は真の科学者として振舞ったのでした。
       「死神から死を学べ!比喩だとお思いでしょう?とてもいい比喩です。そして、最高の比喩がそうであるように、文字通りであるがゆえに素晴らしいのです。『死神から死を学べ』すなわち、単に死の床に立ち、死んだらその体を切り刻むことで学ぶというのではないのです。違うのです!そうではなく、Todesthal、『死の谷』へ降りていき、骸骨(Skelton Herr)と会う約束をし、契約を結ぶことで学ぶのです。ちょうどエアラッハの市民や神学者たちが、ある木こりの証言をもとに、ベルヒトルト・ヴェーヴァーが黒死病の時代にそうしたと主張したように」


       「ベルヒトルトは死神から死を学んだのだと思います」ヴェーヴァー医師は言った。私たちは四方を切妻造りの家や、干草や家畜のかぐわしい匂いのする屋根の高い納屋に囲まれた狭い庭の中を歩き回っていた。開けた一方は、大きな胡桃の木に囲まれて谷が険しく傾斜しており、そこには古都のもつもう一つの顔を示す城壁と塔があった。「彼はそうしたのだろうと思います。なぜなら、あの女がそうしたと私は信じているからです。とにかく、もう一度あの女を見に行きましょう」
       その女の肖像は幅の広い木製の階段の壁に掛けられていた。その階段は大きなエントランスホールから続いていたが、そのホールでは医師の二輪馬車(dogcart)と子どもたちが去年飾り、萎れてしまったクリスマスツリーがあり、その上ではツバメたちが巣を作っていた。その肖像画はひだ襟のある服を着てあごひげを生やした名士たち、垂れ襟をつけ、かつらをかぶった名士たちを描いた肖像画に囲まれ、さらには神やワイン、歌を讃えた奇妙な銘に囲まれていたが、その銘は壁に沿って赤いゴシック体の文字で描かれていた。
       その肖像画はある控えめなホルバインの模倣者の手になるものであった。拙いが、厳格で繊細な線を追求していて、陰によって損なわれることのない青白く、清らかな顔立ちには気品があり、それはその貴婦人の人と歴史にふさわしいものだった。その女性はホルバイン派が描いた女性像としてはひじょうに珍しい美を有していたが、他の流派の画家なら、その美の存在を認めたとしても、この絵のようには表現しないであろう。極めて珍しい美しさで、極めて例外的な美しさだ。ほっそりとした完璧な顔立ちと気品ある物腰は貴族のものというよりも女王のものであった。女は時の経過で黒ずんだ固いボディスのガウンを着ていて、金色の紐と金色の輪の混じり合ったところが辛うじて顔を覗かせていた。白く大きな翼のような帽子を被っていたため、その色の薄い髪はほとんど見えなかった。ヒアシンスの類の花を長くほっそりとした手に持っている。もはや若いとは言えないが、年寄りとも言えない。歳月のせいではなく、その気高い眉毛と、繊細で愛らしい口と、アーチ型をした眼窩の奥底から遥か遠くの世界―神秘と哀れみの世界―を見つめている大きな目に潜むある悲劇のせいでひどく痩せ衰えていた。
      「あなたの先祖の女性、『アグネス・ヴェーヴァー夫人、ハインリッヒ・ストスの娘にしてベルヒトルト・ヴェーヴァーの妻』。私の心を打つのは本当にこれですべてなのでしょうか?」と私は医師に尋ねた。「でなければ、あなたがほのめかしたことと、それから『信仰の深さと勇気ゆえに詩人たちが歌うギリシア王アドメトスの妃に』彼女をなぞらえたあのラテン語の連句から、既に暗示を受けて私は想像しているのでしょうか?彼女は確かに中世のアルケスティスのように見えます。ハーデスの王国での何年間にもわたる滞在が終わった後ではあるものの、その目に常にその記憶を宿していたアルケスティスに」
       「アグネス・アルケスティス―まさにそうです」医師はうやうやしく答えた。「ええ、そうです。死神から死を学んだのは彼女だと私は信じています。歴史的には―」と彼はその踊り場になお立ちながら続けた。「我々は彼女のことをほとんど知りません。すごく古い一族の出身で、ハインリヒ・ストスの唯一の子どもです。ハインリヒは町の議員を務め、亡くなった時にはこの町の市長でした。先ほどもうしましたとおり、有名なシュトゥンプフィウスの手紙の中に、彼女のことを暗示している箇所があります。それはほんの十八歳であった娘をベルヒトルト・ヴェーヴァーのもとへ嫁にやったことでハインリヒ・ストスを非難するものでした。ヴェーヴァーはカトリック教徒でして、無神論者エピキュロスの有名な信奉者ではありましたが、医学という大義名分のもと、役に立たない医療技術や不敬な意見をはぐくみ、健康も病気も人間の手にかかっているのであって神の手にかかっているのではないと説いていたのです。さらに、おそらくはこの若い女相続人に気を配っていたシュトゥンプフィウス医師が教えてくれるところによると、花嫁よりも二十歳年上のもう若いとは言えない男が、甘やかされた子どものきまぐれな思いつきと、男やもめの父親の不信心なまでの弱さにつけこんだわけですが、まるでデスデモーナの話のようですよ。こう想像されるかもしれません。小さなアグネスが学識ある初老の医師と、その驚くべき学識、旅と発見の物語、貧しく病んだ人々への献身についての奇妙な話ゆえに恋に落ちたのだと。それはともかく、二人は一五三〇年に結婚し、三年後にこの家に住むためにこの地にやって来たということはわかっています。ここでベルヒトルトは一五六五年一月に、アグネスは十一ヵ月後に亡くなりました。アグネスとベルヒトルトは三人の子をもうけました。ヴェルナー, バーバラ、そしてウルリッヒの三人ですが、私たちは最後のウルリッヒの子孫なのです。この三人の子どもは三人とも親よりも長生きしました。この事実に注目していただきたいのです。というのも、アグネス・アルケスティスはその生涯において起こりえたかもしれない一つの悲劇から救われたということを示しているからです。この三人の子どものうちの誰かがひどい病にかかったということを示すものは、ベルヒトルトのよく管理された一族の記録の中にはないように思われるのです。そして、三人とも早くに結婚し、裕福な市民としての立場を確立したということはわかっておりますので、この三人の子どもはその振る舞いによって両親に無用なトラブルを引き起こすことはなかったと結論できるのです。その一方で、記録の紛失とか、当時は非常にありふれたことだったのですが、火事による危険とか、戦争による財産の破壊とかに言及したものは、一族の記録にも、町の古文書にも存在しないのです。それゆえ、このことからも、アグネス・アルケスティスは尋常ならざる金持ちだったのです。従って、どのような状況から医師の妻をアルケスティスになぞらえるなどということが起こりえたのでしょうか?いかなる災難が彼女の顔にあのような表情を浮かべさせえたのでしょうか?あなたも即座にお感じになったように、あの表情にはなんらかの大きな悲劇が刻まれているのです」
       「あのラテン語の連句と、後でお読みして差し上げるつもりのバラッドの他には、たった一つの手掛かりしか残っていません。そして、それはさらに神秘的なのです。ここです」
      ヴェーヴァー医師は再び私を階下に連れて行き、細長い部屋へと入った。そこは三五〇年前には彼の祖先であるベルヒトルトが書斎としていたように、その当時はヴェーヴァーの書斎であった。医師は棚から十五世紀にメンツで印刷された大きなラテン語の聖書を取り出し、後ろの方の手書きのページをめくった。
       「ここです」医師は言った。「ここにベルヒトルト・ヴェーヴァー一族の年々の記録が簡潔かつ正確に記されています。わかりますか?『一五三一年二月三日。息子ウルリッヒ誕生。三月十八日。息子が産まれてから初めて妻アグネスが教会に行く。地面には深く雪が降り積もっているが、不満に思うことは何もない。神を讃えよ』
       「一五三九年七月。娘バーバラがはしかにかかったが、良性だったので、幸運にも回復する。神を讃えよ。それから一五四四年十月。妻アグネスと私は、献身的愛情から、たいへん痛んでいた聖テオデュラスの噴水を修復することに決め、またウルリッヒの教会内にある私たちの礼拝堂用にステンドグラスを注文することにした。その聖人と神への感謝をこめて跪いている私たちの姿を描くようにと」何に対する感謝なのでしょう?繁栄と、悪から逃れていることに対してでしょうか?そうは思えません。というのはこの謎めいた記述の直前で―略さずに読んでみましょう―手書きの文字がひどく乱れているからです」
       「一五四四年八月。今月は妻アグネスと私自らの心を省みることが最高神(Highest)のお気に召し、我々二人は様々な聞いたこともない試練を与えられている。とりわけわが妻アグネスは同時代のいかなる女性も経験したことのない試練を与えられてきた。それゆえ、謙虚で、悔恨に満ち、『歓喜のあまり声をあげる』愛情溢れる心を永遠にもつことにしよう」
       「それは」とヴェーヴァー医師は薄葉紙を色褪せた細かい字の書かれた紙の上にのせ、棚に本を戻した後で言った。「それ信のおける記録のうちたった三つ残ったものの三番目のものです。すなわち、聖テオデュラスの泉(というのもステンドグラスはエアラッハがワレンシュタインに敗れたとき破壊されたのです)、ベルヒトルト医師のこの書き込み、そして、アグネス・アルケスティスの肖像画です。そのいずれもお互いの意味するところを私たちに教えてはくれませんし、それ自体についても教えてはくれません。そして、どれもなぜアグネス・アルケスティスが夫アドメトスの命を救うために死の国へと降りていったギリシアの女王になぞらえられねばならなかったのかを教えてはくれません」
      ヴェーヴァー医師は機械的に書斎の窓を押し開き、私たちはもう一度庭に出た。そこでは納屋とライムのにおいが夕暮れ時の辺りに充満していた。
       「その説明は」と彼は続けた。「我々が皆子どもの頃に教えられた伝説の中でなされています。残りの伝説は、エアラッハの子どもなら誰でも知っています。そして、この文化的な時代に至って、フランコニア地方のどの都市でもカートリッジ紙に印刷された未完のバラッドという形でそれを買い求めることができます。そのバラッドはアルケスティスの物語です。ペライの王アドメトスの妻アルケスティスがベルヒトルト・ヴェーヴァー、エアラッハの医師の妻アルケスティスになったのです」
      ヴェーヴァー医師は庭の薔薇の木や切り株、バイカウツギ、そして背の高い赤いつる植物の間を歩き回り、ふいに止まり、丸い眼鏡越しに私をじっと見つめた。
      「アグネス・ストスは」少し間を置いて彼は続けた。「美しく、想像力に富み、頑固な女性で、自ら理想に仕立て上げた男性と結婚しました。それから彼女は現実というものは理想よりももっと面白く、充実していて、より良いものだということを悟ったのです。すなわち、真理に献身する人生、苦しみに敏感な人生、そして夫の生活を詳細に知ったのです。ベルヒトルトには幸福というものがもはや期待できない、というときになって夢にも思わなかった幸福がやってきたわけですが、彼女の愛で、若返り、人間的に成長したのです。それから子どもたちが誕生しました。ああ、その後しばらくして、アグネスは夫にある変化が起きはじめたことに気がついたのです。その変化とは周囲に伝わるものの、理解しがたい悲しみでした。彼はどちらかと言えば以前よりもより落ち着きなく動き回るようになり、昼も夜も実験室で過ごすようになりました。そして、もしそんなことがありえるとしたら、より美しくなったのです。しかしながら、彼の活発さと愛情の中には何か恐ろしいものがありました。アグネスはその中に、残された時間はわずかだということを知っている者のせわしなさ、必死の努力、完成させ、掴み取ることへの熱烈な願望を感じていたのです。しかし、彼は彼女の質問に一切答えるつもりはなく、自分は変わっていないと主張しました。病気だったのでしょうか?何か命に関わるような病気の芽があると認識していたのでしょうか?こんなふうに私たち現代人はその状況を理解します。学識ある人なら彼の心臓が弱るとか、頭がだめになるとかする時を、おそらくは月単位で計算できるでしょう。彼は人生をあまりにも放埓に過ごしすぎました。その一方でその人生は自分自身と、科学に捧げられていたのでした。こうした考えは中世には、アグネス・アルケスティスにはなく、彼女は夫の秘密を探ることが出来なかったので、アドメトス王妃のごとく、天に助けを求めたのです。アグネスは聖テオデュラス、甚だしい不安にさいなまれている人の守護聖人、に祈りを捧げ、その謎を解いてくれるようにと懇願した、とバラッドは語っています。孤独な日々をおくる中、ベルヒトルト医師はある定められた期日に、自らを死の王に捧げると約束したのです。疫病に苦しむ人の命を延ばす秘密と引き換えに。そして、その日は近づきました。エウリピデスの劇に登場するアドメトスを覚えていらっしゃいますか?ベルヒトルト・ヴェーヴァーは彼よりも王らしく振舞ったのです。己の運命を嘆き、身代わりになる犠牲者を探したりしないで、自分の胸のうちを明かさず、秘密にしていました。アグネスは彼の代わりに死ぬことを申し出るなどと一時たりとも考えませんでした。その悲劇のすべてが語られることのないままに起こったのです。己の運命を知っていたベルヒトルトはいかにしてその恐ろしい運命を最期まで隠し通そうか、どうしたら妻に与える衝撃をなるべく小さくできるか、ということだけを考えていました。多くの人間に慰めを与え、その命を救うことのできる人間の生涯に自分の無益な人生を捧げるとかつて決意したアグネスもまた、黙ってその計画を立てました。それはお互いに慰めを求めることの出来ない二人の人間の人知れぬ苦しみであり、それが一族の聖書への書き込みが暗示するあの前代未聞の試練へと繋がったのです。それは口に出しはしないままお互いに別れを告げる日々であり、それが後世に伝えられたのです。思うに、それは死の谷で過ごした時間、アグネス・ヴェーヴァーリンという名で過ごした時間よりもはるかに長い時間で、その結果彼女はアグネス・アルケスティスになったのです。
      「こんな風に考えるのは変ですが」とヴェーヴァー医師は考え込みながら、先祖代々の家の急峻な切妻を見つめ、蔦がからまった白漆喰の梁のある壁を見つめながら言った。「すべてはここで、この壁の中で起こったのです。そして、時々私はあたかもリア王の城か、エルシノアの城にいるかのように感じるのです。あるいは実際のところ、ペライの宮殿にいるかのように。そこではヘラクレスが客となり、アポロが…」
       夕闇が迫っていた。燕が行ったり来たりする空は緑みがかってきた。遠くの山の斜面やモミの木の林は薄いクレープに包まれていくようだった。傾斜が急な屋根、エアラッハの街並みから突き出た塔や切妻のある家々が谷を背景に浮かび上がり、まるで聖アントニウスを描いたデューラーの版画に登場する薄明かりに照らされた街のようだった。


       トーデスタル(Todesthal)、死の谷。これもまた単なるうまい例えにしか聞こえませんが」ヴェーヴァー医師は言った。翌朝、医師は私を散歩に連れだした。「いえ、例えではないのです。はっきりとした現実なのです。死の谷はエアラッハの北東にあり、死の川、トーデスバッハ(Todesbach)がエアルに流れ込むところで開けています。それはバンベルク門の外ほんの一マイルのところです。測量図にすべて記されています。さらに言えば、あなたは今その真ん中にたっているのですぞ」
       医師は私を連れて高台にある麦畑と深いモミの林を抜け、岩々に沿って登る小道のわきを通り、突然狭い谷に入った。
       そこは周囲の台地からまるでナイフで切り取られたかのように切り取られて回廊のようになっていた。やわらかい黄色の石でできた急峻な壁に挟まれ、てっぺんは木や茂みで縁取られ、石に囲まれ水溜りとなって滞っている浅い小川よりも辛うじて広い程度の回廊だった。ここ以外では天気の良い穏やかな日で、緑色の作物が水に濡れた絹みたいにかさかさと音を立てている。しかし、ここには日の光も風のそよぎもやってきはしない。大きなドクニンジンの木が流れの遅い静かな小川の中の大きな泥まみれの石の中から、静かに伸びている。数ヤード後方でその回廊は広がって言ってみれば円形の小部屋をなしていた。濡れた厚い草で覆われたその地面、小さな固いトウヒの木と楔形をした根をてっぺんに向けて突き出したねじれた松の木のある一層切り立った壁。その中に、まるでデューラーの版画の中の隠者の住処みたいに空高く、木製の防火屋根(extinguisher roof)のある小さな礼拝堂があった。
       ヴェーヴァー医師は何年も前に、谷の岩壁の上に倒れたと思しき古い樫の木の幹に腰掛けた。
       「ごらんのあの小さな礼拝堂には」と彼は言った。「宗教改革まで孤独な修道士が働いていたのですが、中世初期には既にこの谷が死神にちなんで名づけられたということを我々が知っているのはそのおかげなのです。理由はわかりませんが。なるほどバンブルク通りは、その入り口近くまで続いていて、始終絞首刑と車裂きの刑が執行されているラヴェンストーンに沿って走っています。そのラヴェンストーンから罪人の亡霊が私の大叔父の時代にもよく降りてきて、帰りが遅くなった旅の者を怯えさせたものです。しかしながら、ラヴェンストーンは一マイル近くも離れていて、この谷の名前の由来とは思えません。おそらく、実際のところ、この名前はまったく違う意味を持った言葉の意味が転訛したのでしょうが、そんなふうに変化するのにふさわしい性質がこの谷にはあったのです。それはともかく、死の谷と我々が腰をおろしているこのとりわけ曲がりくねった個所は、アグネス・アルケスティスの物語の最後の幕が上がる場所です。私たちが以前市場で買った古いバラッドのお話はしましたね。その冒頭部分を聞いてください。「八月という心地よい月のある日曜日の出来事。我々の罪を贖うために主が受肉して以来、千年と五四四日が過ぎた。エアラッハの善良なる住民、槍と弓をもった町の衛兵と、旗を持ったギルドのメンバー、何千人もの男女、子どもたち、歩いたり、馬に乗ったり、這ったりすることのできるすべての住民がある谷で行われる槍試合を見るために町の城壁の外に出た。なぜなら、汝も知っておろう、そこで忠臣の騎士(Trusty Knight)が自ら死神に挑み、アグネス夫人、ベルヒトルト・ヴェーヴァーの妻で夫の身代わりとして死に甘んじた妻を生き返らせよう死神に命じるのだから。そして、町の廷吏が塔のてっぺんからエアラッハの善良な市民を呼び集めた。彼らは男も女も子どもも町の外に出た。何千人も。歩いたり、馬に乗ったり、這ったりすることのできるすべてのものは死の谷での槍試合を見るために外に出た」
      「そのバラッドはこんな風に始まります」ヴェーヴァー医師は語り続けた。「それから、忠臣の騎士は使者にらっぱを吹くように命じます。三回、使者はらっぱを吹き、三回死神の名を呼びました。『ヘル・トート、ヘル・トート、ヘル・トート(Herr Tod, Terr Tod, Herr Tod)』と。そして、アグネス夫人を返すか、忠臣の騎士と一騎打ちするよう死神を呼び出しました。三回目に使者は忠臣の騎士の手袋を放り投げます。すると死神が現れ、やせた青白い馬に乗って谷を下ってきました。兜は藁で飾られ、金で刺繍された立派な黒い飾り帯を締めていました。しかし、バラッドによれば、甲冑は身につけず、他の衣類も身につけず、傷つけるべく肉体も零れるべく血もありませんでした。バラッドは何も教えてはくれませんが、私の想像するに、聖ゲオルギウスを描いた絵の中の王女のごとく、私の先祖の女がそばに膝まずいていたのでしょう。彼らは互いに馬に拍車をかけ、ぞっとするような衝撃とともにぶつかりました。死神の槍が忠臣の騎士の刀の柄頭にぶつかり、もう少しで騎士は馬から転げ落ちさせそうになりました。忠臣の騎士は赤い葦毛の馬の向きを変え、敵に突進しました。ですが、ああ!その槍は死神の青い馬の鉄の肋骨に当たって震え、粉々に砕けて騎士の上に落ちてきただけでした。しかしもう一度忠臣の騎士は向きを変え、赤い葦毛の馬の首の手綱を放し、両手で大きな刀を掴みました。同じく刀を抜いた死神のところに騎士がやってくると、騎士は大きな刀を死神めがけて振り下ろしました。はげたかのような恐ろしい叫び声を上げ、一度も聞いたことのないような骨のがたがたいう音をたてて、その骸骨は後方に倒れ落ちました。それから、忠臣の騎士は赤い葦毛の馬の後ろにアグネス夫人をのせ、彼女をエアラッハまで連れて帰りました。住民はみな後に続き、鐘という鐘が歓迎の音を響かせました。二人は泣いている三人の子どもと一緒に戸口に立っているベルヒトルト・ヴェーヴァーのところまでやってきました。
       「これがバラッドの結末です」少し間をおいてヴェーヴァー医師は言った。そして、木の幹から腰を上げ、狭い道と泥の小川を横切って私を先導していった。「ですが、バラッドには二ヴァージョンありまして、ある一つの重要な点において違いが見られます。新しい方のヴァージョンは、エアラッハが完全にプロテスタントの町になり、ワレンシュタインのむごい仕打ちに苦しんでいる頃書かれたものですが、それによれば忠臣の騎士はディートリッヒ・フォン・クリクリンゲンであり、アグネスの父親はマクシミリアン皇帝が独立を維持している貴族を迫害している間、その家に匿われていたのです。しかしながら、古い方のヴァージョンでは、ルター派とカトリックがこの町でまだ平和に共存し、まだ両者にそれほどはっきりした違いがない頃にまで遡るものですが、それによれば、忠臣の騎士はテオデュラス、ヴェーヴァー家の守護聖人で、一家の者を守るために噴水から降りてきたのです。これほど時間がたってしまっては決め付けるのは甚だ困難ですが、どちらの守護者がお好みか、選択はあなた次第です」
       突然道はカーブし、私たちは狭い谷の入り口に達した。そこで両脇の垂直に切り立った壁面とカバノキとモミの木の列は終わっているのだが、正面には晴れ渡った空を背景に高く、エアラッハの遠くにある城壁、塔、そして傾斜がきつい屋根屋根が見えた。
       「私自身は」考え込むようにヴェーヴァー医師は言った。「比較神話学から学んだのですが、同時に二人のまったく異なる人物が存在するということはごく普通のことですから、ディートリッヒ・フォン・クリクリンゲンと聖テオデュラスの両方を喜んで受け入れます。私の先祖のアルケスティスを死のくびきから解放したヘラクレスなのですから」

  • 「ジェイシンス教皇」(Pope Jacynth)
    • ヴァーノン・リー 「ジェイシンス教皇」 

       聖なる殉教者たち、パウロとヨハネ、同胞たちの遺体の上にバシリカ教会を新たに建設したのはジェイシンス教皇であった。聖歌隊席に羽目板を張り、床板を敷き詰め、両脇に列をなす身廊の柱を建て、そのすべてを大理石で作ったのはジェイシンス教皇であった。以下に語られる物語は、その教皇の死と、その後に起こった驚異の物語であり、それは神の正当性とその無限の慈悲を確かに示しているのだ。
       俗世と修道院の両方でオドーという名で呼ばれているこのジェイシンスの名はイタリア全土、トスカナ侯爵領、べネヴェート州、シシリー王国、かつてギリシア皇帝領だった地に知れ渡っていたが、それはその偉大にして並ぶもののない謙虚さと抜きんでて熱烈かつ専心的な神への愛ゆえであった。そして、彼の破滅もこのことに起因するのである。平信徒が読めば罪となり、どんな聖職者であろうと翻訳すれば破滅となるあの預言者ヨハネの書に書かれているように、主は認めたのだ。その忠実なる僕をサタンが数多の災厄、疑念、悪の誘惑で試練にかけることを。このオドー、またの名をジェイシンスの魂をめぐってサタンと賭けをすることが、すべての真実を映す鏡である主のお気に召したのである。この賭けはオドーが母親の胎内にいるときになされた。というもの、主はサタンにこう言ったのだ。「永遠に地球の周りを回る太陽が一周して戻ってくる間にこの世に産み落とされる者たちの中で、私が選んだいかなる人間をも汝が誘惑することを許そう」
      そこでサタンはその男オドー、後のジェイシンスをその国の最も格の高い家に、すなわちトスカナ侯アヴェラールの長男として誕生させた。けれどもオドーは生まれの高貴さと父の家の富を嫌った。そして、若干十四歳にして、両親のもとを出奔し、ある船夫の船に乗り込んだ。その船夫はギリシア、イストリア、サレーヌムから、アヴェンティーノ山の麓にあるローマの港へとワインやなめし皮、建材用の美しい白い石を運び、羊毛や薄切りチーズ、異教徒の神殿からとった斑岩、蛇紋石を持ち帰っていた。けれども、サタンはオドーを最も美しいものへと成長させた。その均整のとれた体、愛らしい表情、甘美な声はすばらしいものだったため、十八歳の時、海賊に捕えられ、アマゾン族の女王アレクトのところへ売り飛ばされた。女王はヘラクレス宮殿の柱の向こうの島に住んでいて、すばらしく美しい女性であった。アレクト女王はオドー、あるいはジェイシンスの美しさの虜になり、愛情とありとあらゆる楽しみを与えた。けれどもジェイシンスはあざみのロープで自らを鞭打ち、ウチワサボテンの実だけを口にし、沼地の水だけを飲んだ。頭をそり、ある種の草の汁で顔を塗り、ハンセン病の患者だけと親しくし、女王と彼女が供する快楽をはねつけた。
       それからサタンはオドーあるいはジェイシンスにすばらしい力と勇気を与えた。砂漠でライオンと戦い、一撃で屈強な男を二尋も持ちあげることができるくらいに。その力を見て、ひどく驚嘆した人たちが彼を自分たちのリーダー、何百人もの人間をたばねるリーダーに祭り上げ、そのため彼が邪悪な王たちや隣人たちに復讐して、国から盗賊と野獣を追い払うことができるくらいに。しかし、彼が王たちを鎖につなぎ、盗賊たちを地下牢に入れ、野獣を絶滅させると、その当時はオドーと呼ばれていたジェイシンスは刀を掲げ、何人たりとも殺されたり、奴隷に売り飛ばされたりすることを禁じ、うさぎやシカ、ロバを殺すことを控えるように命じ、これらの動物もまた神の創造物なのであり、思いやりをかけるに値する存在なのだと言った。その当時彼は三十二歳になっていた。
       それからサタンは後にジェイシンスと呼ばれることになるオドーに、他の誰よりも鋭敏な知性を与えた。彼はあらゆる言語、現在使われている言語と使われなくなった言語の両方を学んだ。ギリシア人やローマ人、エチオピア人の言語、そしてアルモニカとタップロボーンの言葉さえも学んだ。そして、哲学、啓示占星術、自然占星術、医学、音楽、錬金術、薬草と数字の特質、魔術と詩と修辞学、バベルの塔の建設以降、すなわちすべての言語が伝播した以降に書かれた書物という書物を研究した。教授したり、議論したりして各地を遍歴した。行く先々で、たいていはパリとサレーヌムで、医師という医師、ラビというラビ、学識ある人たちに好きな主題を選ばせて議論を挑んでいった。そして、常に彼らの目の前で、その議論は誤りで、その科学は空虚なものであるということを示した。しかし、これが済むと、オドー、もしくはジェイシンスは福音書を除いて所有する本すべてを焼き払い、自ら創設した修道院に引きこもってしまった。このとき彼は四十五歳であった。
       それからサタンは後にジェイシンスと呼ばれることになるオドーが、人の心とその浅ましさを知り尽くし、そして慰めと情熱で溢れる人間にした。そこでみんなが彼の修道院にやってきたが、その修道院は「澄んだ流れ(Clear Streams)」と呼ばれた。そして、彼の説教を聞き、自らのやり方を改め、多くの者がオドーの教えの下に身を置いた。こうしたものの数は膨大な数に上ったため、修道院はそのすべてを収容することができず、別の修道院が世界各地に建設されなければならなかった。王と皇帝たちがオドーに罪を告白し、オドーの指示に従って教会の入り口に粗布の服を身にまとい立っていた。懺悔の歌を歌い、手には灯をともしたろうそくを持って。
       しかし、のちにジェイシンスと呼ばれることになるオドーは大修道院長の職を創設し、聖職者の最高位とし、自分は山の荒れ地に引きこもり、そこに自らの手で切り出した石を使って庵を建て、果物の木や香味野菜を植え、そこで一人暮らしを始めた。そして、森を流れ、ティレーヌ海へと注ぐ川の河口の近くで祈りをささげ、瞑想していた。
       そこでサタンは主の前にやってきて、「信じてください。もっとあの男を誘惑できます。お願いです、あなたのやり方でやらせてください。そうすれば、死に値する罪に囚われたこの男の魂を持ってきて見せましょう」と言った。そこで、主は「認めよう」と言った。サタンの願いどおり、主はオドーが教皇と称賛されるようにしむけた。枢機卿と司教たち、そして俗世の王子たちは庵に赴き、これ以降ジェイシンスと呼ばれることになるオドーを探し求めた。彼らは果樹園でイチジクの木を刈っている彼を見つけた。その横にはきれいな大皿の上に夕食用に刈られた薬草がのせてあった。書見台の上には福音書が置いてあった。そのそばにはおとなしい羊がいて、乳を搾られるのを待っていた。フックには赤い帽子が掛けられ、書見台のそばには十字架があった。それは小さな庭園で、真中に泉があり、周囲を木の柱に取り巻かれていたが、その庭を取り巻く壁には窓がついていて、真中に石造りの柱があり、その窓を通して下にオークの木、オリーブ畑、谷を曲がりくねって進む川、そしてティレーヌ海が見えた。その海では遠くに船たちが帆を張っていた。枢機卿や司教、俗世の王子たちを見つけると、以後ジェイシンスと呼ばれることになるオドーは枝打ち棒を置き、彼らの話を聞くと涙を流し、十字架の前に膝まずき、また泣いて叫んだ。「悲しいことです。あなたの僕に与えられた試練は恐ろしいものです。おお、主よ。あなたの慈悲は偉大であるはずです」しかし、オドーは教皇になるために彼らに同行した。なぜなら、彼の心は謙虚さと神への愛でいっぱいだったから。ジェイシンス教皇、かつてのオドーは教皇の座についたとき、七十五歳であった。
       主はサタンを呼びつけ、怒って言った。「次は何をするつもりだ?この呪われし者め!」サタンは答えた。「これ以上何もいたしません、主よ。この男にあとほんの五年間生きながらえることをお許しください。それから私たちの賭けがどうなるか見ましょう」
       それから枢機卿たちはかつてオドーと呼ばれていたジェイシンス教皇を宮殿へと連れて行ったが、それは聖ペトロ教会の向かいに位置し、その前にはエイドリアン皇帝によって護符として作られた真鍮製の松かさがあった。彼らはエジプトから取り寄せたすばらしいリネン、ビザンティウム製のシルクを教皇にふさわしいものとしてジェイシンスに纏わせた。その外套は打ち延ばされた金、葉っぱのように薄く打ち延ばされた金でできていて、我らが主とその使徒たちの歴史が一面に描かれ、交互に描かれた子羊とユリの花の絵が端から端までを縁取っていた。そのストールも同様に金、巧みに固定された金でできていた。そして、高価な宝石、エメラルド、オパール、緑柱石、縞メノウ、メリタと呼ばれる宝石が一面にちりばめられていた。そのすべてが完全に円形で、鳩の卵大の大きさだった。古代人が美しく彫刻を施した石が二つあり、一つは戦車戦を描いていて、もう一方はこの上なく巧みに浮き彫りにされたガルバ皇帝の像を描いていた。その冠もまたしっかり固定された金でできていて、内側にはロンギヌスの槍の先端が固定されていた。その先端は我らが主の肉体に触れたのだ。外側は真珠で縁取られていた。真中には白鳥の卵大のサファイアがあり、天使が我らの主にもたらした盃の形に見事に象られていた。こうした装飾をジェイシンス教皇に施すと、彼らは金めっきで覆われた杉製の椅子に彼を座らせた。そして、八人の運び手、すなわち三人の伯爵、三人の侯爵、公爵、ペンタポリスの総督が肩に彼を担いだ。その椅子のクッションは絹でできていた。教皇の頭上にアマルフィの石工たちがたいへん見事に黄道十二宮の絵の刺繍を施した天蓋をかけた。彼の前には白い孔雀の羽根でできた扇を持った二人が先行し、燃える竜涎香で満たされた香炉をもった二人が、銀製のクラリオンを吹き鳴らす六人が先行した。こんなふうにして彼は即位したが、そこは使徒の体が横たわる場所より高いところで、玉ねぎ型の石でできた朗読台と、孔雀とブドウの蔦を描いたアラバスター製の透かし細工のある手すりの後方の、ドームに覆われた場所であった。そこには我らの主が紫、海緑色、そして金色をした地面の上で裁きを下している像と、緑色の琺瑯の上で草を食む子羊たちの像があり、その子羊たちの脇には椰子の木が生え、大きな金色のブドウの木が青緑色の地面の上に伸びていた。玉座の両脇には異教徒の神殿から取られた高価な大理石でできた柱が立っていた。マルスの神殿から取られた赤い斑岩でできた柱、アポロの神殿から取られた、巧みに襞飾りを施されたアラバスターの柱まであった。マジョリカ製の蛇紋石でできた円盤と大皿を据え付けられた鐘楼の鐘が鳴り始め、トランペットが鳴り響き始め、人々が皆で賛歌マニフィカートを歌った。かつてはオドーと呼ばれていたジェイシンス教皇の心は喜びと誇りでいっぱいになった。なぜなら、栄光のただなかで、自分は都市の入り口の所にいるハンセン病患者たちよりも謙虚であると知っていたからだ。人々はジェイシンス教皇の前にひれ伏し、その祝福を願った。
       ジェイシンス教皇は自室のいぐさの上で眠り、口にするものと言ったら泉の水だけで、食べるものもサラダだけ、ローブの下には肌にはとてもざらざらする駱駝の毛でできたシャツを着ていた。彼は謙虚であることに喜びを感じていた。聖年の年には、巡礼者たちがエイドリアン皇帝の墓のそばの橋を通ったその場所で、二十人の司祭が銀の鍬でかき集めてきたお金を受け取ったが、それは自分のためではなく、半分を貧しい人たち、寡婦、孤児たちに分け与え、残りを使って、石工たちに異教徒の神殿の大理石を切り出させ、そこから身廊用の溝飾りのある円柱と彫刻を施された柱頭を作らせ、のこぎりで斑岩、蛇紋岩、そしてエジプト産の大理石でできた柱を切り、羽目板や床張りのための厚板を作らせた。こんなふうにして彼はオスティアン門のそばにバシリカ聖堂を建てた。そしてそれを聖ヨハネと聖パウロ、フラヴィアの奴隷と僕たち、ドミティアン皇帝の妹に捧げ、そうすることで神の愛の中では、最も身分の低い者こそが最も高位のものだということを示そうとした。というのも、彼は謙虚であることに喜びを見出していたからだ。人々は彼の下に盲目の人たち、耐えがたい痛みを抱えた人たち、ハンセン病患者を、回復を願って祝福してもらうために連れてきた。ジェイシンス教皇は彼らを祝福し、痛みを洗い落とし、彼らを抱きしめた。ジェイシンス教皇は謙虚であることに喜びを見出していたのだ。
       さて、サタンはこれを目にすると、笑い声をあげた。彼の笑い声は突風のごとき有様で、麦の芽を焼き(というのも、季節は春だったのだ)、アーモンドとプラムの木の花を摘み取り、夥しい数の花を散らせたので、その有様を目にしない者はいなかった。サタンは主の前に赴き、言った。「見なさい、主よ。賭けに勝ったのは私です。なぜなら、かつてオドーと呼ばれていたジェイシンスはあなたに対して罪を犯したからです。虚栄という罪を。ですから、彼を、その体と魂を私にお与えください」すると主は答えた。「かつてオドーと呼ばれていたジェイシンスを、その体と魂をもっていけ。そしてお前の好きなようにするがいい。あの男は虚栄という罪を犯したのだから。私は残ったものを取っておこう」
       そこでサタンは出発した。ジェイシンス教皇の体をつかみ、目に見えない指でそれに触れた。すると、見よ!その体は徐々に石に変わっていくではないか。サタンはジェイシンス教皇の魂を抜きとり、それに息を吹きかけた。すると、見よ!その魂はゆっくりと萎み、硬化して、石に、ダイヤモンドにまで変化してしまったが、それは御存じのように、永遠に燃え続けるのである。
       さて、人々と巡礼者たちはジェイシンス教皇の謙虚さに大変驚きいっていたので、一目彼を見ようとやかましく騒ぎ立てていた。彼らは聖ペテロ教会の向かいの宮殿の門―その門には破風があり、そこには白い衣装をまとった我らの主が、金の台座の上に、頭の周りに紫の光輪を戴いて立っていたが、そのすべてがギリシア人によるモザイクでできていた―に殺到した。そこで、人々の蛮行、とりわけ北方からやってきた巡礼者たちの蛮行を恐れた司祭と貴族たちは、彼らが崇拝できるようにジェイシンス教皇を連れてくると約束した。そして、打ち延ばされ、しっかり固定された金でできていて、高価な宝石と彫刻を施された石で飾られた服を纏わせ、杉の木でできた玉座に座らせ、八人の担ぎ手、伯爵三人、侯爵二人、公爵二人、そしてペンタポリスの総督が肩に担ぎ、香炉を持つ者、トランペットを吹く者、白い孔雀の羽根でできた扇を持つ者を先頭に教皇を広場に連れて行った。人々は跪いた。立っていた者は一人だけであったが、それは後に姿を消してしまったものの使徒ペテロであった。彼は叫んだ。「見よ。ジェイシンス教皇は偶像になってしまった。それも異教徒の偶像に」しかし、人々がちりじりになり、行列が教会に入ると、玉座を持っていた者たちは跪き、玉座は降ろされた。すると、見よ!ジェイシンス教皇は死んでいるではないか!
       けれども三日後に遺体整復師と医師が、ろうそくに囲まれ、あたり一面にランプをつるされて、ドームのモザイクの下に粛然と安置されているジェイシンスの体を見ると、遺体は腐敗しておらず、大理石、それもパロス島産の大理石に変化していて、古代ギリシア人の偶像のようになっていることに気付いた。彼らは仰天した。知識人たちは議論し、かつてオドーと呼ばれていたジェイシンス教皇は魔法使いに相違ない、なぜならこれは確かに悪魔の所業であるからと結論した。そこで、彼らはその遺体を焼いて石灰に変えた。遺体は最高級の大理石に変化していたので、簡単にそうなったのだ。ただ、人々が石灰を片づけに来ると、その真中に燃えるようなダイヤモンドを見つけた。それはすぐに消えてしまったので、誰もそれをつかむことはできなかったが。さらに、枯葉のように柔らかいものがあったが、菫のすばらしい匂いがして、心臓の形をしていた。それもまたすぐに消えてしまったので、どれほど機敏な者でもそれをつかむことは叶わなかった。
       さて、サタンがエイドリアン皇帝の松かさのそばの宮殿から降りてくると、主の天使、ガブリエルに出くわした。ガブリエルは金色がかった緑色の翼に包まれてやってきた。サタンは言った。「おい、兄弟!どこへ行くんだ。かつてオドーと呼ばれていたジェイシンスという男の遺物がある。ただの石灰にすぎないが、これはその男の体だったのだ。そして、この永遠に燃え続ける石はその魂だったのだ」そう言ってサタンは笑った。しかし、天使は答えた。「笑ってはいけない、主の僕のうちで最も愚かな者よ。なぜなら、私が探しているのはかつてジェイシンス教皇と呼ばれていたオドーという男の心臓なのだ。主はそれをご自身で永遠にとっておかれたのだ。なぜなら、主の哀れみをかけられて、その心臓は愛と希望に溢れていたからだ」さて、ガブリエルが通り過ぎてしまうと、見よ!壁沿いのザクロの木が―それは十年前に干上がり、霜のために枯れてしまったのだが―芽をふき、蕾を出したのだ。

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