思想家
思想家
ヴァ―ノン・リーと交流のあった、あるいはヴァ―ノン・リーが影響を受けた思想家(哲学者、科学者など)に以下のような人がいます。
- アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)
1870~1937年。オーストリアの精神科医、心理学者。一時フロイトと研究をともにするが、やがて袂を分かち、個人心理学を打ち立てた。主要著書に『個人心理学』(Individual Psychology)などがある。
ヴァーノン・リーはアドラーの仕事に共感していた。アドラーが性欲を強調するフロイトから離れたのと同じ理由で、リーはフロイト心理学から距離を置いていた。Colbyは、アドラー心理学から、自身のself-consciousnessに関する考えが正しいという確信をリーは得た、としている。
とりわけリーが精神を病んだとき、アドラーの自己を肯定する心理学は慰めになったようだ。リーは次のように書いている。"What I, at all events, owe to Psychoanalysis and quite especially to Adler. Recognition or suspicion that a large portion of our beliefs originate in our feeling of and about ourselves, but being obscure and not in front (not in relation to the Eye!)." (Colby, Vernon Lee, P.312.)リーは、精神的危機の中、アドラーから"an illusion of self-importance"をつくりあげることを学んだ、とColbyは述べている。
- アルフレッド・ウィリアム・ベン(Alfred William Benn)
1843~1915年。イギリスの哲学者、歴史学者。ギリシア史の研究で知られる。主な著作にA History of Modern Philosophy (1912)、The Greek Philosophers(1882)などがある。
ヴァーノン・リーは1881年にEliza Lynn Lintonの紹介でベンに会っている。イタリアではベンに家の近くに住んだ。リーは"We had been neighbors in that little valley under Fiesole some fifteen years now, my windows looking on to a field of vines and a reach of reeded stream which belonged to him, once farms but raised by the Florentine tax-gatherer to the dignity of 'civil habitations,' being separated by only a few hundred yards of unfrequented road."と書いている。(Colby, Vernon Lee, P.295.) 二人は一緒に散歩しながら、ヘーゲルやベルグソン、先祖崇拝などを語ったという。Colbyはベンはリーにとって'genuine humanist'を代表していた、と述べている。(同書P.295.)
1915年にベンが亡くなったとき、リーがNation誌(10月9日)にobituaryを書いている。
- アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson)
1859~1941年。フランスの哲学者。時間論、認識論に関する著作をのこした。代表作に『時間と自由』(Essai sur les données immédiates de la conscience, 1889)、『物質と精神』(Matière et mémoire, 1896)、『創造的進化』(L'Évolution créatrice, 1907)などがある。「エラン・ヴィタール」(élan vital、生の躍動)は、生命を飛躍的に進化させる力のことで、ベルクソンの言葉である。ダーウィンの進化論の影響を受けつつも、外的な力によるのではなく、生命の内面から湧き上がる力(エラン・ヴィタール)によって生命は進化するとしたもので、これをベルクソンは「創造的進化」と呼んだ。学者としての活動の他、国際連盟設立に関わる。ノーベル文学賞を受賞している。
ベルクソンは空間的分割による時間の流れのほかに、分割不能の意識の流れがあると主張し、それを「純粋持続」と呼んだ。また、物質と表象の中間的存在として「イマージュ」を設定した。
ベルクソンの著作はヴァーノン・リーも読んでいて、高く評価していた。ベルクソンの名はたびたびリーの著作に現れる。物理的時間の流れの他に意識の中の「純粋時間」を指摘した点が、リーの時間論と類似していると思われる。具体的にはVital Liesなどでベルクソンに言及している。
- イポリット・テーヌ(Hippolyte Taine)
1828~1893年。フランスの哲学者、批評家。代表作に『英国文学史 』(Histoire de la littérature anglaise、1863)全4巻などがある。
ヴァ―ノン・リーは若い頃からテーヌの著作に親しんでいた。テーヌの『芸術哲学』(Philosophie de l’Art, 1865–1882)について、リーは1878年にBritish Quarterly Reviewで"The eighteenth century in Italy is not what Taine represents it, misled, doubtless, by the account of a few superficial travellers and disputable memoir-writers. It is almost a kind of minor Renaissance, a very jog-trot one certainly, but none the less distinctly one."と書いている。 (Colby, Vernon Lee, P.23.) リーはテーヌが扱わなかった18世紀イタリアの音楽に注目したのだ。
- ウィリアム・ジェイムズ(William James)
1842~1910年。小説家ヘンリー・ジェイムズの兄。心理学者・哲学者。チャールズ・サンダース・パースの影響を受け、 プラグマティズム(pragmatism)を主導した。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」とする、いわゆる「ジェイムズ=ランゲ理論」は有名である。また、「意識の流れ」(stream of consciousness)理論を提唱し、ジェイムズ・ジョイスらの小説家にも影響を与えた。主要著作に『宗教的経験の諸相』(The Varieties of Religious Experience,1902)、『心理学の諸原理』(Principles of Psychology,1890)など。アメリカの大学で初めて心理学を講義し、研究室を設けた。
ジェイムズにとって真理が事実かどうかは問題ではなく、その人にとってその真理が有用であるかどうかが問題であった。「私」にとって有用であれば、それは「真理」である。これをプラグマティズム(実用主義)と呼ぶ。ウィリアム・ジェイムズの心理学は、同じく心理学に深い関心を抱いていたヴァーノン・リーにも影響を及ぼしたと推測される。『心理学の諸原理』(1890)は、リーに人間の精神と肉体の関係について示唆を与えている。ただし、リーのジェイムズ心理学に対する態度は批判的である。Vital Liesでは、"will to believe"の理論に関して、ウィリアム・ジェイムズを'the most illustrious victim of this intellectual epidemic'であるとし、'one of its chief centres of infection, the "Will-to-Believe"'と述べている。このVital Liesは全編ヘンリー・ジェイムズのプラグマティズム批判の書である。なお、"will to believe"とはデカルトの方法的懐疑批判である。人間は証拠が不十分の場合でも何かを信じる意志がある、とする考えである。
また、リーは'Professor James and the "Will to Believe"というエッセイも執筆している。Vineta Colbyによれば、人の精神的な健康のためには理想主義、観念論、超絶論、宗教といった'doctrinal sources'が必要であるとジェイムズが考えていたのに対し、リーはこれらを信用していなかった。
長編小説Louis Norbertは、17世紀のLouis Norbertという人物の正体をLady Venetiaと考古学者が探る物語である。Louis Norbertはルイ14世の息子であると主張するLady Venetiaに対して、考古学者は歴史をinventしているとして彼女を批判し、次のように述べる。"There is a volume of William James' essays called 'The Will to Believe"―you are that Will in this case." (Louis Norbert, P.176.)
このように自身に批判的な態度をとるリーをジェイムズも警戒して、弟のヘンリー・ジェイムズにも、ヴァーノン・リーには気を付けるようにと警告している。リーとヘンリー・ジェイムズの関係も実に複雑でいかなる関係だったか判断するのは難しい。ジェイムズ兄弟とリーの関係は因縁深い。
- ヴィルヘルム・ヴント(Wilhelm Max Wundt)
1832~1920年。ドイツの心理学者。実験心理学の祖。彼の仕事をもって学問としての心理学が成立したとも言われ、ウィリアム・ジェイムズにも強い影響を及ぼした。
心理学に強い関心を抱き、美学と心理学の融合を試みたヴァーノン・リーはヴントの著作にも親しみ、自らの作品中で何度もヴントに言及している。
美術エッセイ集The Beautifulにおいて、リーは美術作品における線の認識(perception of lines)を考察している。リーによれば、現在線を見つつも、過去の線の記憶を頼りに未来の線も予想しているのであり、そうした過去―現在―未来の相互関係が意味を生みだし、形態(shape)を生み出す。そして、この考えはヴントに由来する、と述べている。リーによれば、ヴントは'feelings of tension and relaxation among the elements of form-perception'を重視した。
- エドマンド・ガーニー(Edmund Gurney)
1847~1888年。イギリスの心理学者、心霊研究家。1882年、心霊現象研究協会(The Society for Psychical Research, SPR)の設立に関わった。1875年に音楽と聴き手の関係の研究を始めた。世紀末のオカルト趣味、心霊趣味の流行に大きな役割を果たした人物。ウィリアム・ジェイムズらと親交を結ぶ。
ガーニーはヴァーノン・リーの知人でもあった。リーはガーニーの印象を"handsome 'but is more like a butler with a dash of guardsman'"と語っている。(Vineta Colby, Vernon Lee, P.115.)
ガーニーの著書The Power of Sound(1880)はリーの音楽観に大きな影響を与えたが、リーはそのreviewを書いている。同書はガーニーの"the aesthetics of hearing"を論じたものである。Colbyは、ガーニーはベレンソンの美学の先駆けになったとしている。(Colby, Vernon Lee, P.167.)
その他、リーもゴースト・ストーリーを書いている以上、ガーニーの他の著作もリーに影響を与えた可能性はある。
- エドワード・ティチェナー(Edward Bradford Titchener)
1867~1927年。イギリスの心理学者。ヴィルヘルム・ヴントのもとで学び、コーネル大学の教授となる。代表的著作にPsychology of Thought Processes(1909)がある。テレパシーの存在をめぐって、これを否定するティチェナーは肯定派のウィリアム・ジェイムズと鋭く対立した。ティチェナーとジェイムズはヴント門下の同門であった。
ヴァーノン・リーは美学に心理学をもちこもうとしたが、その際キーワードとなるのが、「感情移入(empathy)」である。これはテオドール・リップスが用いたドイツ語の'Einfuhlung'の英訳であり、ヴァーノン・リーは'infeeling'とも訳しているが、ティチェナーが'empathy'という訳語をつくった。これに応じてヴァーノン・リーもこのempathyという語を用いている。ティチェナーがempathyという訳語を用いたことにはリーもThe Beautifulで言及している。
美学エッセイThe Beautifulの'subject and object'において、ティチェナーがempathyという語を作ったことに言及し、empathyについて詳しく論じている。なお、Oxford English Dictionaryのempathyの項の最初の用例はヴァーノン・リーのBeauty and Uglinessから取られている。
- カール・グロース(Karl Groos)
1861~1946年・ドイツの哲学者、心理学者。evolutionary instrumentalism(考えが行動を導き、それらの価値が測定される器具であるとする実用主義の哲学)を主張。主要著書The Play on Animalsでは、演劇は後の人生の準備であると主張している。
グロースは、客体の形態や動きと観察者の内部で起きる心理的変化を結び付け、それを'inner mimicry'と名付けたが、この考えは感情移入(empathy)を含むリーに引き継がれていると言える。
このように、ヴァーノン・リーは彼の心理学の影響を受け、チューリンゲンでグロースに面会もしている。1902年から1908年にかけて、リーとグルースは手紙のやり取りを繰り返し、美的体験が人に与える影響について語り合っている。また、リーのBeauty and Uglinessはテオドール・リップスには批判されたが、グロースは好意的に評価している。
エッセイ集Gospels of Anarchy収録の"The Economic Parasitism of Women"では、グロースのPlay Instinctを高く評価している。
- カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx)
1818~1883年。ドイツの哲学者、経済学者。イギリスで活躍した。彼の思想はマルクス主義(Marxism)と呼ばれ、20世紀の政治、思想に多大な影響を及ぼした。資本主義が発展し、必然的に共産主義の時代が到来すると説いた。主要著書に『共産党宣言』(Manifest der Kommunistischen Parte, 1848)(フリードリッヒ・エンゲルスとの共著)や『資本論』(Das Kapital,1867)がある。
ドイツ文化に愛着を抱いていたヴァーノン・リーは『資本論』を所有し、読んでいた。H・G・ウェルズのごとく、フェビアン協会に参加することこそなかったものの、社会主義に対してもリーは共感を抱いていた。しかし、マルクスの主張にはリーは否定的であった。Vineta Colbyは、リーはマルクス主義の"rigid economic determinism"を嫌っていた。(Colby, Vernon Lee, P.274.) 同じくColbyによれば、マルクス、ワーグナー、ビスマルクはリーの抱いていたドイツのイメージを壊してしまった。(同書P.262.)
1934年には、マルクスに批判的なSidney HookによるToward Understanding of Karl Marxをリーは読んでいる。
- ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)
1770~1831年。ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学を代表する人物であり、宗教学、歴史哲学、美学など、幅広い分野にわたる著作を残した。代表作に『歴史哲学講義』、『精神現象学』(Phänomenologie des Geistes, 1807)などがある。
ドイツ哲学に深い関心を寄せ、かつ歴史学にも興味を抱いていたヴァ―ノン・リーは当然ヘーゲルの著作にも親しんでいた。'Puzzle of the Past' (Hortus Vitae収録)というエッセイでは、過去と現在が共存しうるのか、という命題に取り組んでいる。リーによれば、両者は相いれない。しかし、ヘーゲルのテーゼ=アンチテーゼ=ジンテーゼの弁証法の理論に従えば、矛盾しているがゆえに、両者は共存しうることになる。
ヘーゲルは芸術の美は自然の美に優ると考えていた。こうした考えは後の唯美主義思想にも通じている。ヴァーノン・リーも、とりわけそのキャリアの前半においては、唯美主義的考えを前面に押し出したエッセイを発表しており、ヘーゲルの影響が窺える。
また、ウォルター・ペイターの「すべての芸術は音楽に憧れる」という言葉は有名で、リーもその思想を受け継いでいると思われるが、リーによれば、この考えはヘーゲルに由来するらしい。Baldwin収録の'The Value of the Ideal'では、ペイターの音楽理論はヘーゲルの'old music theories'を繰り返したものだ、と述べている。
また、「他者」に関するへーゲルの思想(いわゆる承認論)は近代社会における人間関係を考えるうえでリーに影響を与えたかもしれない。彼女の思想のキーワードの一つ、「感情移入」にも通じる考えであり、アダム・スミスの共感論と合わせて考えると興味深い。
なお、Christa Zornは"Lee generally was critical of Hegel, but followed his philosophy more closely than she would admit."と書いている。 (Christa Zorn, Vernon Lee, P.170.)
- ゴウルズワージー・ロウイス・ディキンソン(Goldsworthy Lowes Dickinson)
1862~1932年。イギリスの政治学者、哲学者。ブルームズベリー・グループらとも交流する。
ヴァーノン・リーとディキンソンは第一次大戦が勃発した頃、平和主義者として交流している。ディキンソンは国際連盟の設立に関わっており、彼のそうした活動や、彼のThe International Anarchy, 1904-1914 (1926)を賞賛している。Vineta Colbyによれば、リーにとってディキンソンは"declared pacifist"ではなく、リーをいらださせることがあったようだ。リーは"he was 'wrinkled with scruples'"と述べている。(Colby, Vernon Lee, P.294.)
一方、ディキンソンの方もリーの戦争に関する文章を読み、リーとは異なる発言をしようとしたと考えられる。ディキンソンはリーは世界平和の実現に貢献できないと考えていた。
- ジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)
1712~1778年。フランスの哲学者。啓蒙時代を代表する思想家で後世への影響も大きい。その思想を一言で述べれば、自然に還れ、ということになる。代表的著作に『人間不平等起源論』(Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes, 1755)、『社会契約論』(Du contrat social, 1762)、教育論『エミール』(Émile, ou De l'éducation, 1762)、自伝『告白』(Les Confessions, 1770)、小説『ジュリ、または新エロイーズ』(Julie ou la Nouvelle Héloïse, 1761)などがある。
『エミール』で女子教育について発言もしているルソーについて、ヴァーノン・リーはたびたび言及している。例えば、Baldwin収録の'On Novels'(対話形式をとったエッセイ)において、登場人物の一人Marcelは'a diseased soul like Jean-Jacques'と述べている。別の登場人物Mrs. Blakeは現代のフランス文学は、もはやフランス的ではなく、バルザックもゾラもフローベールもボードレールも、すべてルソーの『告白』から発している、と述べている。そして、次のように述べている。"And as Rousseau, who certainly was not a true Frenchman, has never seemed to be a genuine man either, but a sickly, morbid piece of half-developed precocity; so I cannot admit that the present phase of French literature represents manhood as opposed to the French literature of the past." さらに、同じBaldwin収録の'Of Doubts and Pessimism'では、Baldwinは"I certainly consider a book like the 'Confession' as a remarkably nasty pathological exhibition."と述べている。
旅行記Genius Lociの'In Piedmont'はイタリアのピエモントの印象を綴ったものだが、その中でリーは次のようにつづり、ルソーの名に触れている。"Jean Jacques was a very undesirable lackey. The Abbe de Gouvon, as he calls him, was the person, if I remember rightly, who gave him some smattering of mathematics; and presented him with "the Fontaine de Hieron,"the little scientific toy with which he thought to begin his fortune."(Genius Loci, P145.)
旅行記The Sentimental Travelerには"Rousseau's vanity"という表現がある。
エッセイ集Gospels of Anarchy収録の"Rosny and the French Analytical Novel" ではルソーのConfessionsにはsubjective truthがある、としている。
ルソーにはDictionnaire de Musique (1768)という音楽に関する著作もある。これは最も初期の現代音楽に関する書物で、Music and Its Loversなどのリーの音楽関連の著作に強い影響を与えたと思われる。リーは書簡において、このルソーの書物に言及している。
父権を否定したルソーであるが、男女の分離を説き、しばしば性差別主義者であったとされる。この点においてはリーと考えを異にする。
- ジュール・ミシュレ(Jules Michelet)
1798~1874年。フランスの歴史家。『フランス史』(Histoire de France)、『女』(La Femme, 1859)、『魔女』(La Sorcière ,1862)などの著作で知られる。
ヴァーノン・リーは若い頃からミシュレの著作を愛読し、強い影響を受けた。リーは1878年の書簡で、"I have brought a heap of Michelet and Ruskin (rather a contrast) with me." (Complete Letters, Volume 1, P.230.) と書いている。ピーター・ガンはリーがAriadne in Mantuaを書いたことについて、このようなロマンティックな話を彼女が書いた理由の一つとしてミシュレを挙げている。ガンによれば、リーはromanticismをミシュレから学んだ。リー自身は美術エッセイ集Euphorionで次のように述べている。""how much I am indebted to the genius of Michelet; nay, rather, how much I am, however unimportant, the thing made by him, everyone will see and judge."
ミシュレは『魔女』、『女』、『ジャンヌ・ダルク』等の著作で女性の問題に取り組んでいる。その点もミシュレがリーの関心を惹いた可能性もある。
- ジョージ・ティレル(George Tyrrell)
1861~1909年。アイルランドのジェズイット派の牧師、神学者。カトリックの教義を現代思想に適応させようとした人物として知られる。代表作にThe Church and the Future (1910),Christianity at the Crossroads (1910)などがある。
ヴァーノン・リーはプラグマティズム批判の書Vital Liesの第二部'Applied Pragmatism'の第一章に'Father Tyrrell: Modernism and the Will to Continue Believing'を設け、ティレルの思想を詳しく論じている。例えば、リーは次のように述べている。"As regards Protestantism, on the other hand, Father Tyrrell's book (like M. Loisy's famous one) is directed, not so much at freeing Catholicism from scientifically untenable doctrines, as at showing that "Liberal Protestantism," with its substitution of the ethical elements for the sacramental and transcendental ones, so far falls short of being the true embodiment of the Religious Idea." (Vital Lies, Part Ⅱ, PP.171~172.)
- ジョゼフ・エルネスト・ルナン(Joseph Ernest Renan)
1823~1892年。フランスの宗教史家、思想家。彼の代表作『イエス伝』(Vie de Jésus,1863)はイエスを初めて人間として描いた仕事で、大きな影響力をもった。オスカー・ワイルドは19世紀に最も影響力のあった本として、ダーウィンの『種の起源』と『イエス伝』をあげている。
ヴァ―ノン・リー自身は無宗教であったが、人間としてのイエスや聖母マリアには強い関心を抱いていた。『イエス伝』はヴァ―ノン・リーの幼い頃からの愛読書であった。ルナンの名もリーの作品中にたびたび現れる。ピーター・ガンはカトリックなどのキリスト教諸派の教えには影響されなかったリーであるが、ルナンの著書はリーの中に"sympathy and admiration"を呼び起こした、としている。
Baldwinで、リーはルナンをボードレールと並んで最もフランスの若者に影響を与えた人物としている。そして、ルナンのペシミズムの秘密は"sceptical and resigned"であるとしている。
長編Louis Norbertでは、登場人物のひとりLady Venetiaが"I rather liked Ahab in Renan's Peuple d'Israel"と述べる。
- ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)
1806~1873年。イギリスの哲学者、社会思想家。代表的著作に『経済学原理』(Principles of Political Economy, 1848)、『自由論』(On Liberty, 1859)、『女性の解放』(The Subjection of Women, 1869)などがある。一時期国会議員をつとめ、女性への参政権の付与にも賛成の立場をとった。
自身がフェミニスト的発言を多くのこしているヴァ―ノン・リーが『女性の解放』を執筆したミルに関心を抱くのは必然で、作中で何度もミルの名に言及している。例えば、対話形式をとったエッセイ集Baldwinでは、登場人物の一人Oliviaはミルのことを'incarnation of logic and utilitarianism'であると述べ、ミルと妻の関係に言及している。
また、プラグマティズム批判の書Vital Liesでもウィリアム・ジェイムズに至るプラグマティズム思想の先駆としてミルに何度も言及している。とはいえ、『功利主義』(Utilitarianism)などの書をものしたミルは、共感について関心を抱いていた。この点においてはリーと共通していると思われる。
1887年の書簡では、リーはミルの"Political Economy"に言及している。(Complete Letters Volume 2, P.317.)
- ダニエル・アレヴィ(Daniel Halévy)
1872~1962年。フランスの歴史家、評論家。マルセル・プルーストら文学者と親交があった。ドレフュス裁判ではドレフュスを擁護する立場をとった。代表作にEssai sur l'acceleration de l'histoire (1948)などがある。
ヴァーノン・リーとアレヴィは友人で、二人には社会についてのリベラルな思想において共通点が多かった。
- チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)
1839~1914年。アメリカの論理学者、哲学者、数学者、科学者。T.A.シービオクとJ・ユミカー・シービオクはパースを「アメリカの生んだ最も独創的で、最も多彩な知性」とまで呼んでいる。(『シャーロック・ホームズの記号論』)
パースはプラグマティズムの創始者とされる。「形而上学クラブ」を設立し、「アブダクション」を推奨。アブダクションとは、説明のための仮説を形成する過程のことを指す用語。また、真理は間違いうるもので、経験によって真理は更新されていくという「可謬主義」を唱えた。
ヴァーノン・リーもパースをプラグマティズムの創始者として理解していて、ウィリアム・ジェイムズはハーバード大学の同僚だったパースから影響を受けていると述べている。ただ、パースはジェイムズのプラグマティズムに不満を抱くようになり、自身の思想をpragmatismからpragmaticismに変えている。伝記作者Vineta Colbyもリーはパースらの理論的なプラグマティズムと争うことはしなかったとしている。(Colby, 284)パースは真実(truth)を"the opinion which is fated to be ultimately agreed to by all who investigate"と定義している。
ヴァーノン・リーのVital Liesは、ウィリアム・ジェイムズのプラグマティズム批判の書であり、その中でパースの名にも言及しているほか、パースの著作から多くの引用をしている。リーによれば、ジェイムズやシラーによる「プラグマティズム」はパースによって定義されたプラグマティズムとは異なっているという。リーは次のように述べている。"Mr Peirce makes truth into an intellectual imperative which sooner or later imposes itself (or would impose itself but for human "perversity") on opinion, Messrs James and Schiller constantly (besides con-fusing"Truth" with its objective correlative "Reality") calmly identify truth with belief, and belief with opinion, and they test truth (which is itself belief's and opinion's standard) by the beneficial or agreeable, the useful con-sequences due to holding a given belief or opinion." (Vital Lies, P.28.)
パースの思想はジョン・ロックや、ジョージ・バークリー、ディヴィッド・ヒューム、ジョン・スチュアート・ミルらの思想をまとめたものであり、ウィリアム・ジェイムズやシラーはそこから逸脱した、とリーは述べている。リーは"The Pragmatism of Mr Peirce is a formula of the "Logic of Science." The Pragmatism of Messrs W. James and Schiller is, so far as it possesses any originality, a method of apologetics, a not always strictly grammatical new Grammar of Assent."と記している。 (Vital Lies, P.47.)
- チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)
1809~1882年。イギリスの自然科学者。祖父は有名な博物学者・詩人のエラスムス・ダーウィン。この祖父は進化論形成の上で先駆的な役割を果たしたと思われる。
ダーウィンがビーグル号に乗ってガラパゴス島を訪れたことは良く知られている。1859年に発表された『種の起源』(On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favored Races in the Struggle for Life)で示された進化論の思想はヨーロッパ社会、キリスト教社会に甚大な影響を及ぼした。進化論はキリスト教の教えに反していたため、反発も多かったのだ。とはいえ、ダーウィンが文学に与えた影響は絶大で、ヴァーノン・リーも例外ではない。ヴァーノン・リーは何度も自著の中でダーウィンの名前に言及している。例えば、Baldwin収録の'Of Honour and Evolution'は進化論の影響下で、科学の進歩と道徳の問題を扱っている。リーは進化論を評価していたと思われる。特に、「ダーウィンのブルドッグ」とまで呼ばれたT.H.ハックスレーの著作を読み、そこから思想をくみ取っている。リーは科学の進歩を評価しつつ、それに伴い新しい道徳の必要性を説いている。他にもThe Handling of Wordsでは、"Darwinian tell us that the prehensile feet of babies reproduce the feet of monkeys"と書いている。(P.13)
- テオドール・リップス(Theodor Lipps)
1851~1914年。ドイツの心理学者。美術や美学への関心も強く、フロイトにも影響を与えた。Robert Vischer(ドイツの哲学者)が生み出したEinfuhlung(英語ではempathy。日本語では「共感」あるいは「感情移入」と訳される)をその著書Raumasthetik(1896)で広め、美は人間の精神に力を与え、慰める力を有すると説いた。
リップスの感情移入論はアダム・スミスの共感の理論と共通点も多く、それらを比較するのも興味深いし、それがヴァーノン・リーにいかなる影響を及ぼしたかについても検討の価値がある。リップスの理論は批判も浴びているが、今日でも一定の意味はあると思われる。なお、彼らの言う感情移入、共感は利他主義とは異なるものである。リップスの言う感情移入は個体化を可能するもので、キーワードは「投射」と「共同感情」である。フッサールの感情移入論にもリップスは影響を与えている。
ヴァーノン・リーはリップスの理論の強い影響を受け、彼女の理論を展開した。しかし、リーのBeauty and Uglinessをリップスは批判し、それを受けてリーは自説に修正を加えている。一方、リーもリップスの理論の問題点を指摘してもいる。ピーター・ガンによれば、リーはリップス理論における'metaphysical element'を批判した。
なお、Oxford English Dictionaryにおけるempathyの項目の最初の用例は、リーのBeauty and Uglinessから取られている。
リップスについての日本語で読める論文としては、石田三千雄「テオドール・リップスの感情移入論をめぐる諸問題」(『フッサール 相互主観性の研究』収録)がある。リップスの著作についても、かつては岩波文庫に翻訳が入っていた。
- トマス・カーライル(Thomas Carlyle)
1795~1881年。イギリス(スコットランド)の歴史家、思想家。代表的著作に『衣装哲学』(Sartor Resartus,1833~34 )、『フランス革命史』(The French Revolution, 1837)、『英雄および英雄崇拝』(Heroes and Hero Worship, 1841)などがある。『英雄および英雄崇拝』については、ヴィクトリア時代のmasculinityの問題を考える際。重要な書。
ヴァーノン・リーはカーライルをよく読んでいたようだ。彼女は『ことばの美学』において、カーライルの文体を分析している。'Carlyle and the Present Tense'と題したエッセイで、カーライルの現在形の使用法に特に注目している。その際、ディケンズらの小説家の現在形の使用法とカーライルの文章を比較している。
カーライルには『過去と現在』(Past and Future, 1843)という作品もあり、これがヴァーノン・リーの過去の意識に影響を与えた可能性もある。リーは次のように書いている。"The use of the present tense answers, on the contrary, to Carlyle's very personal attitude in what is really the world of contemplation." (P.184.)
ドイツ文化への傾倒もカーライルとリーの共通点と言える。
- トマス・ヘンリー・ハクスレー(Thomas Henry Huxley)
1825~1895年。イギリスの生物学者。ものごとの本質を人間はとらえることができない、とする「不可知論」(agnosticism)を展開した。ダーウィンの進化論を擁護したことから「ダーウィンのブルドッグ」とも呼ばれる。Science and Education、Evolution and Ethicsなどの著作がある。
ダーウィンの理論に理解を示していたヴァーノン・リーはハクスレーの著作にも触れていた。特にEvolution and Ethicsで示された科学の進歩とそれに伴う倫理の関係についての思想は、リーのそれとも共通しており、リーへの影響も想像される。作中でのハクスレーへの言及も多い。
- バートランド・ラッセル(Bertrand Russell)
1872~1970年。イギリスの数学者、哲学者。世界大戦が始まると、平和主義者として活躍した。代表作に『数学原理』(Principia Mathematica, 1910~13)、『哲学入門』(The Problems of Philosophy, 1912)などがある。アルバート・アインシュタインとともに核兵器廃絶を訴えた「ラッセル=アインシュタイン宣言」(1955年)も有名。1950年にはノーベル文学賞を受賞している。
ヴァーノン・リーは1894年に友人宅で初めてラッセルに会い、その後もたびたび顔を合わせている。ラッセルはリーの知性を認めつつも、彼女を嫌っていた。ラッセルはBurdet Gardner(リーの研究書Lesbian Imaginationの著者)に”(Lee was) incredibly ugly, but always able to win the devotion of young girls who were both intelligent and beautiful. This, I suppose, was owing to the brilliancy of her intellect."と語り、さらにはリーのことを"vampire, a very masterful, dominant person―a bloodsucker"と呼んでいる。
一方、リーはラッセルの著作に親しんでいた。両者とも反戦主義の立場をとっており、共通点もあった。
- ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)
1820~1903年。イギリスの哲学者、社会学者。ダーウィンの進化論の影響下に社会進化論の考えを説いた。主な著作に『総合哲学体系』(System of Synthetic Philosophy ,1860)などがある。
ヴァーノン・リーはチャールズ・ダーウィン、そしてスペンサーの進化論を受け入れつつも、生存競争の敗者に対する眼差しを有し、進化にはそれに伴う新しい倫理の誕生が必要と考えていた。リーの進化論に対する意識を考える際、スペンサーを考慮するのは重要で、例えば「淑女と死神」で開陳されるリーの進化論への認識は、スペンサーのそれを継承していると言える。スペンサーは美学においても重要な役割を果たした。彼のPrinciples of Psychologyは広く読まれ、影響も大きかった。スペンサーの美学理論をIan Smallは次のように要約している。"The greatest art therefore axiomatically became that which was capable of exercising the greatest variety and volume of pleasurable emotion or sensation in its audience." (Ian Small, Conditions for Criticism, P.71.) 芸術作品と、それが鑑賞者に与える心理的影響を考察したという点でも、スペンサーはリーの先駆をなしていると言える。
Laurus Nobilis収録の'Beauty and Sanity'で、リーは次のように書いている。"Whether or not Mr. Herbert Spencer be correct in deducing all artistic activities from our primaeval instincts of play, it seems to me certain that these artistic activities have for us adults much the same importance as the play activities have for a child."
一方、エッセイ集The Beautifulでは、芸術とその愉しみを「一種の遊び」(a kind of play)と定義するために、'beautiful'という語と結びついたnon-practical attitudeを利用したphilosophical theoryに関して、シラーが創始し、ハーバート・スペンサーが復活させた、としている。この理論をヴァーノン・リーは否定している。
Althea Dialoguesでは登場人物の一人、Altheaが、自分は自らのことを罪人と考えたくなく、スペンサーの本を燃やしたくない、と述べる。(P.211)
The Handling of Wordsの'Imagination Penetrative'でもスペンサーのagnosticismに言及している。(283ページ)
- ビアトリス・ウェッブ(Beatrice Webb)
1858~1943年。イギリスの社会学者、経済学者。夫のシドニー・ウェッブとともに社会主義団体フェビアン協会(Fabian Society)で重要な役割を果たした。著作にWomen and the Factory Acts (1896)などがある。
Vineta Colbyは当時の女性参政権運動に否定的だった点において、ヴァーノン・リーとウェッブに共通点を見出している。いずれにせよ、同世代の女性著述家として、リーはウェッブを意識していたと想像される。さらにColbyはリーのエッセイThe Gospels of Anarchyが、ウェッブの1884年の日記にある"Social questions are the vital questions of today; they have taken the place of religion"という記述にインスパイアされた可能性を指摘している。
- フェルディナント・カニング・スコット・シラー(Ferdinand Canning Scott Schiller)
1864~1937年。イギリスの思想家。ドイツ生まれ。オックスフォード大学で学ぶ。進化論の影響を受け、ヘーゲル哲学に反対。プラグマティズムに近い論を展開した。
ヴァーノン・リーはそのプラグマティズム批判の書Vital Liesでヘンリー・ジェイムズやパースとともにシラーの名前をあげ、プラグマティズムの代表的思想家として扱っている。そして、彼の著作Studies in Humanismから多くの文章を引用し、そこで示される'The Will to Believe'を批判している。
- プラトン(Plato)
B.C.427~B.C.347年。古代ギリシアの哲学者。西洋哲学の根幹をなす思想を展開した重要な思想家。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師にあたる。代表的著作に『ソクラテスの弁明』、『国家』、『饗宴』、『パイドン』などがある。とりわけ、彼の「イデア論」は後世に大きな影響を及ぼした。
19世紀、ヴィクトリア時代のイギリス、とりわけオックスフォード大学ではプラトンの教育が盛んで、このことが、ヴァーノン・リーの時代の文化に大きな影響を及ぼしている。
プラトンの著作の多くは対話形式をとっているが、このことの後世への影響も大である。ヴァーノン・リーはBaldwinその他の著作の中で対話形式を採用しているが、これもプラトン以来の伝統に従っていると言える。
また、19世紀末にはプラトンの『饗宴』が注目を集めた。この著作は両性具有を扱っており、ヴァーノン・リーへの影響も少なくないと考えられる。エッセイ集Altheaでは、語り手の一人Altheaがプラトンの『饗宴』に登場する若者の一人に似ているとの記述がある。このことについて、Christa Zornは次のように書いている。"Althea's appearance like "one of the youths in Plato's dialogues" not only links her with the antique model of homoerotic love but also exemplifies the contemporary practice of using the boy image as a sign for lesbian difference." (Zorn, Vernon Lee, P.107.) Zornはリーの愛他主義(altruism)をめぐる対話とプラトンの対話編の類似を指摘している。
ヴァーノン・リーの作中にもプラトンへの言及は多い。例えば、美学エッセイLaurus Nobilisではプラトン哲学をヨーロッパにおけるall higher philosophyの源流であるとしている。また、同書で"we human creatures will never know the absolute or the essence, that notions, which Plato took for realities, are more relative conceptions." と述べている。(P.80.)
- フランシス・パワー・コブ(Frances Power Cobbe)
1822~1904年。アイルランドの女性作家・社会改革者。婦人参政権を求める運動や動物実験(特に生体解剖)への反対運動で有名なフェミニスト作家。フェミニストとしての著作にはThe Duties of Womenなどがある。1875年にはNational Anti-Vivisection Society (NAVS)の、1898年にはBritish Union for the Abolition of Vivisection (BUAV)の設立に関わった。婦人参政権や科学に関する様々なエッセイのほか、The Confessions of a Lost Dog(1867)などの小説も書いた。進化論のチャールズ・ダーウィンとも交流があった。女性彫刻家Mary Lloydと同棲もした。
コブはヴァ―ノン・リーのゴースト・ストーリーを読んでいて、それを高く評価していた。自伝(Life of Frances Power Cobbe)の中でリーの作品に言及している。("The ghost of popular belief almost invariably exhibits the survival of Avarice, Revenge, or some other thoroughly earthly passion....The famous story of Miss Lee is one exception to this rule." Life of Frances Power Cobbe, P.11.)
リーはコブに手紙も書いていて、そこで自身の長編小説Miss Brownが好意的に受け止められていないことを嘆いている。また、ロンドンを訪れた際には様々な人に自分のことを紹介して欲しい、と述べている。(Complete Letters, Volume 2, P.27.)このようなお願いをしていることからも、リーとコブが親しい間柄であったことがわかる。1879年の書簡では、リーは次のように書いている。"...I have been in correspondence lately with your friend Miss Cobbe. She is so kind to make use of me; and I am delighted to be put to use by her." (Complete Letters Volume 1, P.256.)
リーもコブ同様、動物への生体解剖に反対の立場をとっており、コブの仕事を意識していたと思われる。とはいえ、科学の進歩への考え方などに、両者に違いも見られる。リーは科学の発展を肯定的にとらえ、それに伴う新たな道徳の誕生の必要性を説いた。他方、コブの生体解剖反対論にはやや盲目的な科学への不信もうかがえる。
両者は手紙のやり取りもしている。1883年のメアリ・ロビンソン宛の手紙では、"Have (you) seen Miss Cobbes' very unjust but very flattering article about me in the Contemporary? It is so odd, that tone of the deist towards the "good agnostic" as Florence Sellar called me―like the people in the Chanson de Roland, who are always exclaiming."と書いている。
また、コブはMary Lloydと「結婚」したことでも知られる。二人は同居するパートナーであった。コブは男性的なところのある女性で、男性的な言葉遣いをし、男性のように髪を短くし、男性のような服を好んで着た。この点においてもコブはヴァーノン・リーと共通していて興味深い。コブのセクシャリティについては、Sharon MarcusのBetween Women: Friendship, Desire, and Marriage in Victorian Englandに詳しい。
なお、コブの結婚観は意外にも保守的なものである。The Duties of Womenでは、女性は家庭を守るべきで、それこそイギリス的美徳であると主張している。("One word in concluding these remarks on woman's duties as a Hausfrau. If we cannot perform these well, if we are not orderly enough, clear-headed enough, powerful enough, in short, to fulfill this immemorial function of our sex well and thoroughly, it is somewhat foolish of us to press to be allowed to share in the great housekeeping of the State." The Duties of Women, P.151.)
- フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)
1844~1900年。ドイツの哲学者。主要著書に『ツァラトストラ』(Also sprach Zarathustra、1885)『道徳学の系譜』(Zur Genealogie der Moral, 1887)などがある。その超人の思想、ルサンチマン、「神は死んだ」という言葉など、後世に大きな影響を与えた。
ワーグナーへの関心の高さなど、ヴァーノン・リーとニーチェには共通点が多いうえ、リーにはニーチェへの言及も多く、'Nietzsche and the "Will to Power"というエッセイも書いている。(The Gospels of Anarchy収録)
ドイツ語が自在であったヴァーノン・リーはニーチェの著作にも親しんでいたと思われる。Colbyによれば、リーはニーチェの"the force and of originality of his thinking"を称揚していた。(Colby, Vernon Lee, P.279.)中でもニーチェの処女作『悲劇の誕生』(Die Geburt der Tragödie, 1872)は重要である。ニーチェはこの著作において、芸術を「アポロ的」芸術と「ディオニュソス的」芸術とに大別したが、これはリーの音楽論にも深い影響を与えている。Music and Its Loversには、このことが顕著である。しかし、ニーチェが「ディオニュソス的」芸術に光を与えたのに対し、ヴァーノン・リーは「アポロ的」芸術を求めた。『ことばの美学』では、ニーチェの言う「ディオニュソス的」な芸術を「疑惑と嫌悪をもって眺める」と述べている。
また、'Nietzsche and the "Will to Power"において、ニーチェにおける「力への意志」を批判的に考察し、'It is right, therefore, despite Nietzsche, that there should be pity for others'と述べている。
美術エッセイ集Laurus Nobilisでは”it is not only music, as Nietzsche said, but all art, that is abut a kind of dancing, a definite rhythmic carrying and moving of the soul"と書いている。
The Handling of Wordsでは次のように書いている。"Nietzsche was telling us, according to his wont, rather what he experienced with mingled complacency and disgust in his own self, than what he valued in others. To him the word―he was apt to feel it rather as the spoken than the written word―was essentially the response, almost the reflex, the impatient, violent, contemptuous and often self contemptuous venting and easing of his inner distress, of his instability, soreness and frenzy." (P.314.)
- ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)
1623~1662年。フランスの哲学者、数学者。31歳で信仰生活に入った。「人間は考える葦である」という言葉で有名。代表的著作に『パンセ』(Pensée)がある。
ヴァーノン・リーはLaurus Nobilisその他の著作でパスカルに言及している。("There is a penséeof Pascal's to the effect that a fop carries on his person the evidence of the existence of so many people devoted to his service. This thought may be delightful to a fop; but it is not pleasant to a mind sensitive to beauty and hating the bare thought of ugliness." Laurus Nobilis, P.145.)
『ことばの美学』では、リーは「パスカルの五行」に言及している。
Vital Liesでは、ウィリアム・ジェイムズによるパスカルの'Wager'理解が特徴的であるとして、パスカルに言及している。
- ヘンリー・ハヴロック・エリス(Henry Havelock Ellis)
1859~1939年。イギリスの医師、性科学者。性科学の大著『性の心理』(Studies in the Psychology of Sex,1933 )はこの分野の研究における記念的著作。ナルシシズムの概念を広め、また女性の性欲を発見したとされる。
女性の性欲を主張したエリスをヴァーノン・リーが好んだとは考えにくいが、エリスはリーに言及している。Sexual Inversion(1897年。ジョン・アディントン・シモンズとの共著)においてレズビアニズムを研究したエリスは、リーとメアリ・ロビンソンの関係をレズビアニズムのcase historyと見ていた。
- マックス・ジーモン・ノルダウ(Max Simon Nordau)
1849~1923年。ハンガリー出身の医師・思想家。ユダヤ人でシオニズム指導者。1892年に発表した『頽廃論』(Die Entartung)の著者として知られる。ワーグナー、ヴェルレーヌ、ワイルド、ニーチェ、ボードレールら当時のデカダン派の芸術を批判した。『頽廃論』の冒頭で"The fin de sièclestate of mind is to-day everywhere to be met"と嘆き、その中心はパリであるとしている。また、 イプセンの『人形の家』を批判する為に、The Right to Loveという小説も書いている。イギリスの新聞Timesは、ノルダウのobituaryで、彼のことを"philosopher of decadence"と評したという。
ヴァーノン・リーはGospels of Anarchy所収の'Deterioration of Soul'でノルダウの論に一定の評価をしつつも、反論している。リーは'I find that Nordau's book has inspired me with a salutary terror, not merely of Degeneracy (though he is right in teaching us to be afraid of that), but of the deterioration of the soul's faculties and habits, which is the inevitable result of all intellectual injustice.'と述べている。
ノルダウは科学的真実がすべての道徳の基礎だと考えていた。一方、イタリアの精神科医チェーザレ・ロンブローゾやノルダウの仕事を、頽廃を生理的原因に帰するものと批判し、退廃の社会的原因を探らねばならないと主張する。そこから、個人対社会、大衆の関係について論を進めている。リーによれば、人間は社会から切り離されると利己的になるが、社会・大衆が規定する健全にとらわれすぎてもけいない。そして、リーは最後にこう述べている。'Our souls are beset by dangerous tendencies, notions, and examples: let every individual, therefore, scrutinize and select among the tendencies and notions of others; scrutinize and select more carefully still among the tendencies and notions he may find in himself.'
また、ラファエル前派については"In the world of art, however, the religious enthusiasm of degenerate and hysterical Englishmen sought its expression in pre-Raphaelitism"と書いている。(Degeneration, P.77.) さらには、""But this retrogression to first beginnings, this affectation of simplicity, this child's play in word and gesture, is a frequent phenomenon amongst the weak-minded, and we shall often meet with it among the mystic poets."と述べ、手厳しい。(Degeneration, P.82) そして、ラファエル前派を擁護したラスキンについて、"These proposition were decisive in determining the direction taken by the young Englishmen of 1843, who united artistic inclinations with the mysticism of the degenerate and hysterical. They comprise the aestheticism of the first Pre-Raphaelites, who felt that Ruskin had expressed with clearness what was vaguely fermenting within them." (Degeneration, P.79.)
エッセイ集Gospels of Anarchy収録の"The Economic Parasitism of Women"でヴァーノン・リーはノルダウの名前に言及している。
一方、ノルダウは音楽について、"The musical listener is accustomed involuntarily to develop a little in his mind every motive occurring in a piece."と書いており、音楽が聴き手の心に与える影響について考察しており、リーとの共通性が窺える。また、リーも書いているゴースト・ストーリーについて、"Ghost-stories are very popular, but they must come on in scientific disguise, as hypnotism, telepathy, somnambulism."と書いている。