ワイルド
オスカー・ワイルド (Oscar Wilde)

1854~1900年。『サロメ』(Salome,1892),『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray,1891),『真面目が大切』(The Importance of Being Earnest,1895)などの作品で知られる、イギリスの世紀末を代表する作家。唯美主義者で耽美的な作風で知られる。アイルランド生まれ。同性愛裁判で有罪となり、投獄された。
1881年にリーが初めてイギリスを訪問した際、リーはワイルドと会っている。リーはワイルドについて次のように述べている。"the wonderful Oscar Wilde! He talked a sort of lyrico-sarcastic maudlin cultschah for half an hour. But I think the creature is clever, and that a good half of his absurdities are mere laughing at people." Sondeep Kandolaは”Lee also felt a particular, if unspoken affinity, with Oscar Wilde"と書いている。その後、ワイルドがThe Woman's Worldの編集に携わっていたとき、リーはワイルドに協力している。
ワイルドはリーとブレックファスト・パーティで会った際、コンスタンスについて、"tender and surrender"と語り、彼女の処女を奪ったことを語ったという。(Neil McKenna, The Secret Life of Oscar Wilde, P.74.)
1894年7月にも二人はピカデリーで会っている。このときワイルドはリーを呼び止め、彼女の兄、病弱なユージーンのことを尋ねている。リーは"I think he is quite kind, whatever else he may be."と述べている。ワイルドはユージーンを詩人として賞賛していた。
リーはイギリス人ながら大陸ヨーロッパ育ち。ワイルドはアイルランド人。リーはワイルド作品に見られる非イングランド的要素に、自分と似たものを感じたようだ。また、ともにウォルター・ペイターの影響を受けた者同士という親近感もあったであろうし、ともに同性愛者という事実も、リーがワイルドに一種の親近感を抱く原因になったと想像される。
ワイルドは『ミス・ブラウン』に登場する唯美主義者ウォルター・ハムリンが自分をモデルにしているのではないかと感じ、不快に感じたようだ。また、同じくこの作品に登場するMr. Posthlethwaiteがワイルドをモデルにしているとも考えられる。リーはギルバートとサリヴァンの唯美主義を風刺したオペレッタPatienceを観劇していて、そこに登場する唯美主義者Bunthorne (ワイルドがモデル)からPosthlethwaiteを創造したと言われている。なお、リーも初期は唯美主義的芸術観を表明しており、ワイルド、あるいはウォルター・ペイターとの関係も想像される。

1894年、p化でリー広場でリーはワイルドと出くわし、言葉を交わしてもいるが、この時がワイルドと話をした最後の機会であったとリーは述べている。
リーの短編「アルベリック王子と蛇女」(ワイルドが活躍した雑誌The Yellow Bookに掲載された)にワイルドからの影響を見る研究もある。例えば、最後に殺される蛇女とワイルドの『サロメ』のラストシーンで殺害されるサロメとに類似を見る研究がある。他にも、「アルベリック王子と蛇女」にはワイルド作品、とくに童話の影響が見られるが、ワイルドが投獄されたとき、リーはワイルドのスタイルを守りたいという意図で、「アルベリック王子と蛇女」を書いた、という見解もある。詳しくはMargaret Stetzの'The Snake Lady and the Bruised Bodley Head: Vernon Lee and Oscar Wilde in the Yellow Book'(Vernon Lee: Decadence, Ethics, Aesthetics収録)を参照のこと。
一方、ワイルドは毒殺魔を扱ったエッセイ"Pen, Pencil, and Poison"において、リーに触れ、"distinguished writer"としている。